ブタ箱か、トラ箱か、それが問題だ!
自身、512日間の拘置所生活を送った佐藤優氏が、
草なぎ剛さんの全裸事件について異議を唱えていますね。
公然わいせつ罪という、
れっきとした犯罪で捕まった場合、
「ブタ箱(留置場)」
にぶちこまれます。
でも、酩酊者(アルコールの影響により、
正常な行為ができないおそれのある状態にある者)は、
「トラ箱(保護室)」
に入れられるのだそうです。
草なぎさんの場合、
意図的に下半身をさらしたわけではなく、
酔っ払って、わけわからず脱いじゃっただけ。
ですから、そもそも「公然わいせつ罪」という犯罪で
捕まえるべきではなく、むしろ、単なる酔っ払いとして
保護されるべき対象ったのではないかと、
佐藤氏は考えているそうです。
私も100%、佐藤氏に同意します。
ただ、芸能界の人間だし、
アルコールじゃなくてヤクやってたんじゃないか・・・
と疑われる可能性が高い立場にあったのが問題でしたね。
とはいえ、草なぎくん事件は、謝罪会見も含め、
世間の反応としては、むしろ彼の「人間くささ」が
好感を持って受け入れられたような印象を受けます。
他の人も言ってますが、この雰囲気を読むなら、
むしろ草なぎ君を起用したCMやドラマは、
彼自身の謝罪を入れた上で、再開した方がプラスで
あることは間違いありません。
人は、潔く非を認める人にはむしろ好感を持つものです。
“I'm only human born to make mistakes.”
from ‘Human’ by Human League
この歌は「浮気を許してちょうだい」という内容ですけど・・・
*livedoorニュース
【佐藤優の眼光紙背】草なぎ剛氏の逮捕に意義あり
投稿者 松尾 順 : 20:51 | コメント (0) | トラックバック
「ワクワク感」をくれない懸賞
今、コンビニなどで、
サッポロの缶ビール「冷製SAPPORO」を買うと、
現金2,000円
の当落がすぐにわかるキャンペーンをやってますね。
「インスタントウィン」って呼ばれる懸賞です。
缶ビールの懸賞で、
現ナマ2,000円というのは結構目を引く金額。
思わず1本、買ってしまいました。
早速キャンペーンサイトにアクセス。
シリアルナンバーを入力し、
スタートボタンを押下。
画面に表示されてるアニメのクーラーボックスから、
冷製SAPPOROが出てきたら当たり。
出てこなかったらハズレ。
で、見事ハズレだったんですが・・・
ボタンを押したら間髪をいれず
ハズレが表示されたのにちょっと
ガッカリしました。
スロットマシンとかのように、
ボタンを押してから、
結果が出るまで最低でも
5秒間くらい
間合いが欲しいですね。
「当たるかな、どうだろう・・・?」
とワクワクする時間がなく、
あっけなく外れてしまうと実につまらないもの。
瞬殺しないでよ・・・!
どうせハズレなんだからどうでもいいじゃないの?
と思われるかもしれませんが、
再チャレンジ(購入)する意欲が多少なりとも
下がるんじゃないでしょうか?
投稿者 松尾 順 : 10:03 | コメント (2) | トラックバック
神童がプロとして大成しないのはなぜか?
以前、今は解説者として知られる、
元プロ野球選手の方が嘆いていたのを覚えています。
なんに対して嘆いていたかというと・・・
せっかく、素晴らしい才能が認められてプロ選手に
なれたのに、練習が嫌いで手を抜くことばかり考えている、
そして、毎日飲み歩くような不摂生な生活を送ってしまう
若手選手が多いことにです。
若い頃は「神童」、あるいは「天才」と呼ばれながら、
プロとして大成するのは一握り。
多くは、才能を腐らせ、
大きな花を咲かせることなく散っていく。
なぜなんでしょうか。
ずっと不思議に思っていました。
実は、「プロ」として成功できるかどうか、
言い換えると、「高みを極めることができるかどうか」
の分かれ目は、
「マインドセット」(心構え)
にあったんですね。
才能に恵まれた人が陥りやすいマインドセットは、
「才能・能力は天性のものである」
というものです。
ですから、彼らにとって「努力すること」は
ダサイこと。なぜなら、努力は才能のないものが
するものだと考えているから。
そして、学校や試合(本番)は、
自分の才能を周囲の人に見せ付ける場です。
才能があるんだから、常に勝ち続け、
また、優秀さを周囲に見せ続けなければならない。
だから、失敗は受け入れられない。
とても恥ずかしいことだから。
でも、努力をしなければ、
持てる才能の上限で能力は頭打ちになりますよね。
しかも、失敗はいやなので、
失敗するリスクのある難易度の高い課題を
わざと避けるようになる。
そして、「やればできるんだけどね・・・」
などと言い訳をして、自分のプライドを守る。
もし万が一、失敗してしまっても、
その原因を他人や環境のせいにすることで、
自分の才能に傷がつかないようにする。
こうして、まさに才能におぼれて自滅していくのです。
テニスの天才、ジョンマッケンローも
若い頃はこうしたマインドセットの持ち主
だったようです。
彼が試合に負けたとき、
決して自分に落ち度があるとは
考えなかったのです。
ある時、友人と対戦して負けたのは、
相手が恋愛中で、自分はそうではなかったから
という言い訳をしたらしいですね。
一方、天性の才能にも恵まれ、
あるいは、それほど才能に恵まれなかったとしても、
それぞれの世界で高みを極め、プロとして成功を
収めた人々もいますよね。
彼らが持っているマインドセットは、
「才能・能力は伸ばせるものである」
というもの。
だから、日々の地道なトレーニングを怠りません。
努力すれば、いくらでも優秀になれると考えている。
彼らにとって、学校や試合(本番)は、
自分の能力をさらに伸ばす場であり、
才能・能力を証明する場ではありません。
そして、「失敗」は自分のできないこと、
わかっていないことを確認できる貴重な体験です。
ですから、失敗するリスクのある難易度の高い課題には、
それを乗り越えればさらに大きく能力が伸ばせるから、
積極的にかつ喜んで取り組む。
こうしてコツコツと努力することによって、
天性の才能をさらに開花させ、あるいは、
生まれつきの才能を上回る能力を身に付けることが
できるのです。
さて、前回の記事「ほめるな、ねぎらえ!」で
ご紹介したスタンフォード大学心理学教授、
キャロル・S・ドゥエック氏は、
「才能・能力は天性のものである」
と考える人のことを
「Fixed Mindset」(邦訳は「こちこちマインドセット」)
と呼んでいます。
そして、
「才能・能力は伸ばせるものである」
と考えている人を
「Growth Mindset」(同、「しなやかマインドセット」)
と呼んでいます。
上記2つの考え方のどちらを持っているかで、
あなたが高みを極めることができるかも決まるのです。
この2つの対極的な考え方はとても面白いですよ。
次回、さらに掘り下げてみたいと思います。
*参考文献
『「やればできる!」の研究』
(キャロル・S・ドゥエック著、今西康子訳、草思社)
投稿者 松尾 順 : 12:35 | コメント (2) | トラックバック
ほめるな、ねぎらえ!
共に働く部下・スタッフたちのやる気を高め、
また維持するためには、
「ほめるな、ねぎらえ!」
ということが重要だといわれますね。
「えーと、「ほめる」と「ねぎらう」はどう違うの?」
という疑問が湧きましたか?
認める対象が異なるんです。
「ほめる」の対象は、「結果」や「能力」です。
一方、「ねぎらう」の対象は、「プロセス(過程)」です。
つまり、
「よくやった!君は優秀だ!」
などというのがほめること。
一方、
「毎日、粘り強くがんばってるな!」
というのがねぎらうことです。
所定の成果を出さない限り、
「ほめること」はそうそうできませんよね。
しかし、日々の努力は、
成果が出る・出ないに関わらず、
「ねぎらうこと」が可能です。
もちろん、部下・スタッフたちには、
所定の成果を出してもらわないと困りますから、
成果は出なくてもいいということではありません。
しかし、「ほめる」ことよりも、「ねぎらう」こと
のほうが「やる気」の維持には効果的なのです。
この理由のひとつには、
自分のことを見てくれている、気にかけてくれている
という「心の支え」を与えられることがあります。
もうひとつは、努力し続けることの重要性を認識し、
常に新たなチャレンジに立ち向かえる
心構え(マインドセット)
を醸成することができるからです。
一方、成果や能力を「ほめる」ことは、
短期的にはやる気を高めることが可能です。
ですが、長期的には自信を低下させ、努力を放棄し、
新たなチャレンジを避けるといった、
好ましくない心構え
を醸成する、マイナスの影響があることが
わかっています。
ビジネスではなく、学校教育における研究ですが、
成果や能力をほめる行為にはマイナスの影響がある
ことが実証された実験をご紹介しましょう。
スタンフォード大学心理学教授、
キャロル・S・ドゥエック氏が、思春期初期の
数百人の子どもたちを対象に行った実験です。
まず、生徒全員に、
知能検査のかなり難しい問題を
10問解いてもらいました。
ほとんどの生徒が、
まずまずの成績を取ったそうです。
テストが終わったあとで、
子どもたちに「ほめ言葉」をかけるのですが、
この時、生徒たちを2つのグループに分けました。
そして、一方の子どもたちには、
その子の「能力」をほめたのです。
「まあ、八問正解よ。よくできたわ。頭がいいのね」
といった具合です。
もう一方のグループでは、彼らの「努力」をほめました。
(これが、「ねぎらう」ということです)
「まあ、八問正解よ。よくできたわ。頑張ったのね」
といった感じ。
グループ分けした時点では、
子供たちの能力は全く等しかったそうです。
ところが、「頭がいい」と能力をほめられた子供たちは、
その後、新しい問題にチャレンジすることを避けるように
なったのです。
なぜなら、万が一、いい点が取れなかったら、
ほめられないから。そして、「自分は頭が良くない」
という判断材料になってしまうからです。
実際、その後、別の難しい問題を出されて、
あまりいい点が取れなかった時、
「自分は頭が悪いのだ」
と思い込んでしまったそうです。
(そのため自信を失ってしまい、努力しなくなった)
一方、「がんばったね」と努力をほめられた生徒たちは、
その9割が新しい問題にチャレンジすることを選んだのです。
いい点が取れるかどうかに関わらず、
難しい問題に取り組んだ「努力」が評価されることが
わかっていたからです。
ですから、難しい問題がなかなか解けなくても、
それは頭が悪いからと考えるのではなく、
「解けるようになるまでもっと頑張らなきゃ」
と考えて取り組むのです。
さて、上記の2つのグループのうち、
その後、能力がぐんぐん伸びて、結果的に
知能検査で高い成績を取れるようになったのは
どちらだったと思いますか?
もちろん、努力をほめられた、
つまりねぎらわれた子供たちでした。
この実験結果をまとめると、以下のことが言えます。
能力をほめると生徒の知能が下がり、
努力をほめると生徒の知能が上がったことになる。
この文章、「生徒」を「セールスパーソン」、
「知能」を「販売成績」に置き換えることも可能ですよね。
その本来の意義が十分理解されず、
「結果主義」
に走ってしまった企業の「成果主義」のほとんどが
失敗に終わったのは、こうした実験結果を踏まえると
必然だったのかもしれません・・・
*参考文献
『「やればできる!」の研究
-能力を開花させるマインドセットの力』
(キャロル・S・ドゥエック著、今西康子訳、草思社)
投稿者 松尾 順 : 12:08 | コメント (0) | トラックバック
ポール・ポッツ女性バージョン!
ポール・ポッツ氏の
女性バージョンが誕生しましたね。
英国のスター誕生番組、
「BRITAINS GOT TALENT」
に登場した47歳の女性、スーザン・ボイル氏。
失礼ながら外見はパッとしませんが、
なんと美しい歌声なんでしょう!!
彼女が、ポール・ポッツ氏と共演する日が
いつか来そうかな・・・!
実際、同じことを感じる人は多いようですね。
ポールさんのユーチューブのコメントを見ると、
ボイルさんとデュエットして欲しいというコメントが
既にいくつかあります。
昨年聴いたポール・ポッツ氏の来日公演は、
なかなか良かったんですよね・・・
もしスーザン・ボイル氏とのデュエット公演が
実現したらぜひ行きたいと思います。
なお、スーザンさんは、
1999年に自主制作CDかなにかで、
“Cry Me a River”
を収録しています。
これを聴くと、
「BRITAINS GOT TALENT」の演出抜きの
彼女の歌の本当の魅力がわかりますね。
“Cry Me a River” by Susan Boyle
投稿者 松尾 順 : 07:40 | コメント (2) | トラックバック
夫がブラジャーをつけているのを見てしまった。
消費者としての「オンナゴコロ」研究のため、
私が長年、こっそり登録している女性向けサイト(cafeglobe)
の日刊メルマガには毎回、英語の短い文例が掲載されています。
で、本日の英文は、
I caught my husband wearing a bra.
夫がブラジャーをつけているのを見てしまった。
でした。
世相を反映した良い例文ではありますが!
これが現実に起きた場合の、
妻の反応がどんなものになるのか、
気になって今晩は眠れそうもありません。
投稿者 松尾 順 : 10:07 | コメント (2) | トラックバック
確証バイアスにご注意!
UFOや宇宙人の研究家たちが集まるコンファレンスに
先日出席した、米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士、
エドガー・ミッチェルさんが、
「地球外生命体は存在する」
と断言したそうです。
(CNN.com)
エドガーさんは、1971年、アポロ14号に搭乗して
月の上を歩いた6番目の人間なんですね。
エドガーさんによれば、
地球外生命体がいるという事実は、
米国政府を始めとする各国政府が隠し続けているとのこと。
まあ、これはなかなかうまい説明だと言えます。
なぜなら、政府が巧妙に隠し続けてきているから、
「地球外生命体の存在を実証できる確たる証拠を示せない」
のだという言い訳ができるからです。
世界中にはたくさんのUFOの目撃や
宇宙人との遭遇事件が報告されています。
しかし、万人を納得させる証拠を
今のところ誰も示せていないのが現実ですね。
いくら政府とは言えども、
証拠を隠しとおせるとは思えません。
それでも、エドガー氏のように、
地球外生命体の存在を本気で信じている人が
いるのはなぜでしょうか?
それは、人は自分の考え方や信じたいことを
支える情報のみを積極的に受けいれ、反対意見を
意識的・無意識的に抹殺する心理的傾向があるからです。
この心理的傾向のことは、
「確証バイアス」
と呼ばれています。
最近売れている行動経済学関連の本では、
「確証バイアス」の説明が必ず登場しますね。
先日書いた、雨男・雨女の記事、
も実は、確証バイアスの話でした。
本当に関係があるかどうかわからない
2つの現象の間に勝手に因果関係をつけて
しまうわけですから。
さて、「確証バイアス」は、
もっとベタな言い方をすれば、
人間はみな、多かれ少なかれ、
主観的に物事を判断するということ
だと言えます。
「なんだ、そんなの当たり前じゃないか!」
と思われたかもしれませんが、
物事や人々に対する偏見や固定観念を生み出し、
差別やいじめ、無実の人を有罪にしてしまう「冤罪」
のような様々な問題を引き起こす根本的な原因に、
しばしばなっているのが「確証バイアス」なのです。
だからこそ、私たちは、
・自分の考えや判断は主観的になりすぎていないか、
・自分の考えと反対の意見をろくに検証もせず、
むげに退けていないか
という自問自答を忘れないようにすべきでしょう。
では、確証バイアスの危うさがわかる、
興味深い実験をひとつご紹介しておきましょう。
プリンストン大学のダーリーとグロスが行った実験です。
実験の協力者は、
小学校4年生のある女の子のビデオを見て、
その子の学力を判断することが求められました。
まず、ビデオの前半では、
半数の協力者に、女の子が
「劣悪な家庭環境に育った子ども」
であることが説明されました。
そしてもう半数には、
「中流階級の家庭の子ども」
であることが説明されたのです。
すなわち、
彼女が劣悪環境で育った子どもだと
知らされた人は、
「彼女は学力が低いだろう」
ということを予期し、
一方、中流階級の子どもだと知らされた人は、
「相応の学力があるだろう」
ということを予期するように仕組まれていたのです。
後半のビデオは、
協力者全員が同じものを見ました。
そのビデオは、
教室内で女の子が先生の質問に答える様子を
撮影したもの。
女の子は、難しい質問にも簡単な質問にも
同じように、正解したり間違ったりしていました。
また、快活に見えることもあれば、
やる気がなさそうに見えることもありました。
つまり、後半のビデオだけを見ただけでは、
彼女の学力が高いかどうかは判断できないように
注意深く作られていたのです。
こうして後半のビデオを見た後、
実験の協力者たちは、彼女の学力について、
読解力、知識、算数能力などいくつかの項目で
評定しました。
その結果、すべての項目で、
彼女の学力をより高く評価したのは、
ビデオの前半で中流家庭に育ったことを
知らされた人たちだったのです。
これは、同じビデオを見たにも関わらず、
協力者はそれぞれ、事前に自分が感じた考え(仮説)を
支持するような情報を積極的に選択したということを
意味します。
私たちは、既に物事に対して様々な事前の知識や
一定の評価(レッテル)を与えていますよね。
おそらく私たちは、毎日の生活の中でも、
自分が今持っている知識や評価を支えるような情報
ばかりを見ていて、反証するような情報は見て見ぬふり
を多かれ少なかれしているのです。
*上記実験は下記文献を参考にしました。
『超常現象をなぜ信じるのか』
(菊池聡著、講談社ブルーバックス)
投稿者 松尾 順 : 16:32 | コメント (0) | トラックバック
自己を「複雑化」せよ・・・複雑化社会でのサバイバル
変化が激しく、高度化・複雑化した現代の日本社会で
生きていくのは本当に大変なことですね・・・
とても便利な社会には、なりました。
しかし、社会が便利になったということは、
私たちを取り巻く環境は高度化・複雑化している
ということです。
そして、私たちは、
この高度化・複雑化した環境に適応することを
要求されています。
実際、「便利さ」を享受するためには、
PCや携帯電話、ブラウザーといった各種ツール
の使い方に習熟しなければなりません。
また、オンラインショップ、
さらにリアルな店舗においても、
一定の作法・手順(プロトコール)
を理解できていないと、
ちゃんと買い物ができません!
慣れてしまえばサクサクと済ませられる
オンラインショップでの購入も、
最初は手順がわからず右往左往する人が
多いのです。
スターバックスに初めて行った人は、
おそらくどうやって注文したらいいかわからず、
カウンターの前で途方にくれるに違いありません。
ビジネスの世界では、従来「雑用」と呼ばれてきた仕事が、
IT化の進展によってほとんどが消滅しつつあります。
以前から指摘してますが、
現場に配属された新人さんはまず、
電話番とか、コピー取り、おつかい(書類のお届け等)
といった比較的シンプルな仕事をあてがわれ、
「慣らし運転」
をさせてもらう時間がありましたよね。
ところが今の職場はめったに電話が鳴りません。
eメールのやりとりが主体ですし、
たまの電話も本人が直接出ることがほとんど。
もはや電話番は不要。
また、オンラインで書類データをやりとりすることが
増えてコピーは減り、おつかいもほとんどなし。
このため、いきなり企画立案や、
業務の運営管理などの高度な仕事を任されてしまう。
しかし、こうした仕事を仕事経験の浅い若手が
そうそううまくこなせるはずはありません。
大変なプレッシャーです。
失敗することも多いでしょう。
心が折れてしまう人が増えるのも、
仕方がないことかもしれません・・・
ですから、近頃の若者は「我慢強くない」、
あるいは、「打たれ弱い」などと批判するのは、
ちょっと一方的過ぎると私は感じています。
もちろん、大変な思いをしているのは、
若手だけではないですね。
中堅どころや、シニア社員もまた、
近年の急激なIT化によって従来の仕事のやり方が
通用しなくなり、自己変革を迫られています。
しかし、長年続けてきた仕事のやり方を
大きく変えるのは、ベテラン社員にとって
大きなストレスです。
やはり、精神的に参ってしまう人が増えるのも、
やむを得ないことかもしれません。
とはいえ、当事者としての私たちは、
このような厳しい状況において、
どのようにサバイバルすればいいのでしょうか?
至極当然のことではありますが、
第一には、変化する環境に適応できるように、
新たな能力を開発する努力を続けることです。
つまり、自分の能力を複雑化させるということですね。
ただ、これは前述したように簡単ではないし、
一朝一夕ではできないことなので、
メンタル面の工夫
が必要になってきます。
すなわち、環境適応の過程で遭遇する、
様々な苦難や失敗によって簡単に心が折れない
ようにするということです。
そのためには、どうすればいいか?
日々の過ごし方を複雑化させるのです。
具体的には、会社という単一のコミュニティに
閉じこもるのではなく、地域、家庭、そして
趣味・レジャーでの集まりなど様々なコミュニティに
積極的に参加し、自分なりのポジションを確保するのです。
そうすれば、例えば仕事で失敗して自我が深く傷ついても、
暖かく迎えてくれる趣味のコミュニティの中で、
まだ無傷の自我があることに気づくことができるので、
自信回復が可能になります。
つまり、仕事場における「職業人」以外に
「複雑な役割」
を人生において持っておくことが、
生きるうえでの各種ストレスを緩和し、
再び厳しい現実に向き合うエネルギーを
充電する助けになるのです。
複雑化し続ける現代社会には、
「能力」と「生き方」の両面の複雑化戦略で
対抗しましょう!
投稿者 松尾 順 : 14:27 | コメント (0) | トラックバック
マズローの「自己実現欲求」の先にあるもの
このメルマガ・ブログをお読みの方なら、
「マズローの欲求階層説」
はよくご存知でしょう。
(これまでも、何度か簡単にご紹介しましたし)
マズローは、人の欲求は以下の5段階からなるという
考え方を示しました。
------------------------------------
1.生存の欲求(食欲、性欲など根源的な欲求が満たされたい)
2.安全の欲求(生命が脅かされない、安全に暮らしたい)
3.社会的欲求(所属や愛が欲しい)
4.自我(自尊)の欲求(社会の中で承認、尊敬を得たい)
5.自己実現の欲求(自分らしさを発揮したい)
------------------------------------
このうち最高次の欲求が、5段階目の
「自己実現欲求」
ですが、これは、
「自分らしさを発揮したい」
という欲求ですから、
「個性化欲求」
と言い換えることもできます。
さて、特にこの数年、
世の中のヒット商品やトレンドを眺めていると、
この5つの欲求ではうまく説明できない消費者行動が
顕著になってきているように思います。
実は、マズロー自身も晩年に提唱していたのですが、
「自己実現欲求」の先に知られざる別の欲求が
いくつかあるのです。
それは、自己超越、つまり他人への奉仕や、
知識欲の充足、美の追求といったもの。
私は、これらをわかりやすく説明するキーワード
として、何か適切なものがないかなと考えていたところ、
ふとある言葉が浮かんできました。
それは、
「真・善・美」
です。
「真・善・美」は、
主に哲学の世界で用いられてきた言葉です。
しかし、私は大胆ながら、
現代の消費行動を説明しやすい欲求として
「真・善・美の欲求」
という考え方を提示してみたいと思います。
「真・善・美の欲求」は、
マズローの自己実現欲求の先にある
新たな3つの欲求のこと。
そして、これは現代日本のような
成熟社会に顕著になってくる欲求です。
簡単に説明します。
・「真」の欲求
物事の真理を追究したいという欲求。
知りたい、学びたいという行動の源泉になります。
現在一線を退いたシニアの方々が、
最も熱中しているのが「学び」ですよね。
すでに人生の目標はなんらかの形で
達成された方たちですから、
「成功したい」とかそんな明確な目標は
もはや必要ありません。
純粋に学ぶことが楽しいのです。
脳科学者の茂木健一郎氏の言葉を借りれば、
学びは最高のエンターテイメント。
いくら学んでもおなか一杯にならない。
(つまりいくらでも楽しめる)
ということなのです。
実は、私の父も70歳を過ぎてから、
サイバー大学に入学しITを学んでいます。
地元NPOのホームページを作ってあげたりと
いった役にも立っているようですが、
やはり学ぶこと自体が楽しいようです。
もちろん、シニア層に限らず、
主婦を含むあらゆる階層が「学び」に
貪欲になりつつありますよね。
・「善」の欲求
人のために役立ちたい、
善いことをしたいという欲求。
先日の記事でご説明した、
「フィールグッド・マーケティング」
の根底にあるのがこの善の欲求です。
マズローが、トランスパーソナル=自己を超える、
すなわち自己超越欲求と呼んだものがこれに
該当します。
自己実現を果たした、つまり「個」としての自分が
確立できた時、多くの人が次に向かうのが社会貢献
ですよね。
・「美」の欲求
美しいものを愛でるというのは、
人の最も根源的な欲求の一つなのかも知れません。
アウシュビッツの収容所から生還を果たした心理学者、
ヴィクトール・フランクルは、明日はガス室送りかも
しれないという極限状態にある人々さえ、収容所から
見る夕日の美しさを讃えていた風景に感銘を受けたこと
を手記に書いています。
さて、「美」は、大量生産・大量消費型商品においては、
これまでかなり軽視されてきた要素です。
美しさにこだわると、コスト高、ひいては
高価格の原因になるからですね。
しかし、近年のデザイン家電の隆盛や、
また、優れたデザイン力を発揮してきたアップル
の飛躍的成長を見ると、消費者はますます、
「デザインの美しさ」
を選好要因の一つとして重視するようになっています。
結局のところ、人の感性に訴えかけ、
人を感動させるパワーを持っているのは、
「美」
ですよね。
以上、真・善・美の欲求について
簡単にご説明しました。
これからの商品開発においては、
「真・善・美の欲求」
をいかにくすぐることができるかが、
ヒットするかどうかの分かれ目だと思うのですが、
いかがでしょうか?
投稿者 松尾 順 : 13:34 | コメント (3) | トラックバック
オリビア・ニュートン=ジョン
先日、オリビア・ニュートン=ジョンが、
乳がん撲滅運動キャンペーンのため来日してましたね。
中学生時代、大好きでした。
当時彼女は20代後半で、
私にはずいぶんお姉さんでしたけど。
彼女もすでに60歳・・・
彼女自身も罹った乳がんも
すっかり克服されたようですし、
長生きしてほしいです。
投稿者 松尾 順 : 09:10 | コメント (2) | トラックバック
特許を取得した「味集中システム」
近くを通ると、
よだれがパブロフの犬のように湧き出し、
フラフラと店に入ってしまう博多とんこつラーメン
「一蘭」
の内装のユニークさは、
一度でも行かれた方はご存知ですね。
基本カウンターのみ。
隣の席との間には、
仕切り板(パーティション)があます。
また、注文したラーメンが出た後は、
前のすだれが降ろされます。
つまり、前、両側が完全に遮断されるため、
店員さんや他のお客さんに心を乱されることなく
ラーメンに没頭できる仕組みです。
一蘭ではこの仕組みを
「味集中システム」
と呼び、特許出願中だったのですが、
最近ついに「特許」が取得できたようです。
これで競合他店が類似の内装をしようとしたら
特許侵害になってしまうわけですが・・・
とはいえ、
「さすがに、こだわり過ぎじゃないの?」
とも言いたくなる、独創的な仕組みなので、
あえて真似しようと考えるラーメン屋さんは
いないかもと思います。
それにしても特許出願のニュースは、
登録会員向けのメルマガでのみ伝えているだけ。
店舗Webサイト、および運営企業のWebサイトの
どちらにも掲載されていません。
どうやら、一蘭社長の吉富学氏は、
控え目であまり露出を好まない方のようです。
宣伝しすぎはカッコ悪いと考えてるのかな。
*関連記事
「味集中システム」とは
投稿者 松尾 順 : 09:14 | コメント (2) | トラックバック
甘えてない円盤
1970年代後半、空前の「超常現象ブーム」が起きました。
「UFO(空飛ぶ円盤)」「超能力」「心霊現象」
といった人知を超えた謎・不思議への関心が高まったのです。
ユリゲラーが、日本中の家庭の止まった時計を
動かしたこと覚えてますか。
ピンクレディーが「UFO」を歌ったのも、
そんなブームのさなかの1977年でした。
現在40代以降の方は、懐かしく思い出されることでしょう。
私もご他聞に漏れずハマりました。
特に「UFO」が大好きで(というのもなんか変ですが)、
小6の頃、1万円弱もする「UFO探知機」を買ったほど!
(当時、どうやって1万円を工面したのか思い出せません)
さて、ゲームセンターに「UFOキャッチャー」が登場したのは
1985年でしたが、その頃から肝心のUFO自体に対する関心は
下火となり、90年代以降はほぼ忘れられた存在となっています。
UFOにとって、
90年代は「失われた時代」と言えるんじゃないでしょうか(笑)
70-80年代の有名なディスコナンバーに、
日本語の替え歌を乗せて歌う「ダンス☆マン」は、
2000年に発表した「ミラボーリズム3」で、
「甘えてる円盤」
(原曲:A Night to Remember by Shalamar)
の中で、次のようにUFOを偲んで歌っています。
(一部のみ引用)
------------------------------
子どもの頃はよく出てきたね
テレビでもよく特集やってたよ
(中略)
最近あんまり聞かないよ UFO
そんなんじゃ 信じるのやめちゃうぞ~
全然 出ない この頃少し甘えてる円盤
(中略)
今はもっと情報が多いのに
なぜかあんまり聞かないんだよなぁ UFO
ほんとに 信じるのやめるぞ~
全然 出ない この頃少し甘えてる円盤
(以下略)
-------------------------------
しかし、UFOにとって受難の時代がようやく
終わりつつあるようです。
救世主はなんだかわかりますか?
それは、ひとことで言えば、
「デジタル革命・インターネット革命」
ですね。
安価なデジカメ・ビデオの普及に加えて、
2005年の「Youtube」の登場が決定的でした。
今、「Youtube」で検索すると、
世界各国で撮影されたUFOの目撃最新動画が
数え切れないほどヒットします。
すでに過去のものだったずのUFOですが、
インターネットのおかげで、
ひそかに復活を遂げていたわけです・・・(オオゲサ?)
もちろん、昔のような大ブームになることは
まずないでしょう。
70年代のUFOブームはマスメディア、
特に大衆に大きな影響力を持っていたテレビが
主導したもの。
要するに、当時の人気番組「木曜スペシャル」です。
しかし、もはや、インターネットが日常となった今、
テレビを初めとするマスメディアは以前ほどの力が
ありません。
大衆側もまた、
「みんな一緒に同じことに関心を持つ」
という時代を過ぎて、今では
異なる関心ごとに分かれたグループ内で
ひそかに楽しむようになっています。
こうした活動を容易にしたのも、
インターネットですね。
考えてみれば、現在マスメディアでカバーされる
様々なイベント(直近でいえばWBCなど)も、
一見盛り上がっているように見えますが、
必死で盛り上げようとしているマスメディアに
応えて本当に盛り上がっている人々は、実のところ
全体のほんの一握りに過ぎないはず。
他の人々はそれぞれの関心事に埋没し、
マスメディアに踊らされている人たちを冷ややかに
見ているというのが現実ですよね。
70年代に青春を送った私にとって、
みんな一緒にUFOに夢中になれた当時が懐かしい。
でもとりあえず、「Youtube」のおかげで、
UFOは再び活発に我々の前に姿を現すように
なっています。
「このごろは、あまり甘えてない円盤♪」
という曲、歌ってよダンス☆マン!
*ダンス☆マン
ミラーボール星オフィシャルサイト
http://danceman.jp/index.html
投稿者 松尾 順 : 12:28 | コメント (0) | トラックバック
過度の因果関係づけにご注意!
私たちは、日常に起こる様々な出来事を
無理やり‘関係づける’ことが多いですよね。
「無理やり」というのは、
たいした根拠も確信もなく、
無邪気に関係づけてしまうということです。
例えば・・・
あなたは、
「雨男」(あるいは雨女)
を自認してますか?
あなたが旅行などに行くと必ず雨が降る!
せっかくの観光が台無し・・・
もちろん、X-メンの「ストーム」じゃあるまいし、
自分が雨嵐を呼び寄せてしまうと、
本気では思ってないですよね。
それでも、自分と雨との間になぜだか関係が
あるように感じて、自分の身の不運を悲しんでいるわけです。
こうした物事を関係づけずにいられない私たちの思考は、
とりわけ「原因と結果」、すなわち「因果関係」で捉よう
とする傾向が強いようです。
なぜ私たちは、出来事の中に
「因果関係」
を発見したがるのでしょうか?
おそらくそれは、
「未来を予測(予知)したい」
という欲求があるからでしょうね。
というのも、原因と結果の関係がわかれば、
原因を「予兆」として捉えることができ、
その後どんな未来が展開するかが読めます。
そうすれば、事前に十分な準備や
適切な対応が可能になりますからね。
ただ、覚えておきたいのは、
出来事の起こり方には
・「因果関係」(シークエンシャル)
だけでなく、
・「共時関係」(シンクロニシティ)
なんらかの関係のある事象が、同時に起きている
・「並行関係」(パラレル)
無関係の事象が、ばらばらに並行して起きている
があるという点です。
ところが、私たちはほとんどの出来事の中に
「因果関係」
を発見しようとしてしまうため、
「過度の因果関係づけ」をしてしまいがち。
例えば、
「ジャンクフードばかりを食べている
青少年の素行は乱れがちである」
みたいな言い方をする人がいます。
この言い方には、ジャンクフードが、
素行の乱れの「原因」であるかのような
ニュアンスが感じられますよね。
(ジャンクフード嫌いの人なのでしょう)
でも、実際のところ、
ジャンクフード自体が青少年の行動に影響を
与える大きさは限定的だと思います。
この場合、むしろ「ジャンクフードを食べること」
と「素行の乱れ」は共時関係とみるべきです。
おそらく、「家庭環境」に根本的な問題があるために、
その結果として、「食生活の悪化」と「素行の乱れ」
の2つの出来事を同時にもたらしている可能性の方が
高いんじゃないでしょうか。
(もちろん、これも検証する必要のある因果関係ですが)
このように人は、しばしば自分の価値観や偏見に基づき、
都合の良い因果関係として出来事を見てしまうのです。
これ、ポジティブな因果関係を見るのであれば、
まだいいのですが、ネガティブに捉えがちだとまずいですね。
例えば、朝出社した際、
廊下で出会った同僚に「おはよう!」と挨拶したのに、
相手からはシカトされてしまった。
シカトされたことは確かに不愉快な経験ではあります。
しかし、
「俺のこと嫌ってるんだ、だから無視したんだ」
などと、自分勝手にネガティブな因果関係で
考えてしまうと、ブルーな気分が続いてしまいますよね。
実のところ、無視した同僚は、
単にまだ寝ぼけていてボーッとしていた
だけかもしれません。
あるいは、身内に不幸があったために、
落ち込んでいたのかもしれません。
つまり、必ずしもあなたに
原因があるとは限らないわけです。
ですから、毎日起こる様々な出来事を
まずは虚心坦懐に受け止める。
そして、その出来事と他の出来事との間の
因果関係づけに、自分自身の偏った考え方や価値観が
反映されていないか客観的に考えてみる習慣をつける
ことをお勧めします。
(参考文献)
『こころと社会‐認知社会心理学への招待』
(池田謙一、村田光二著、東京大学出版会)
投稿者 松尾 順 : 13:20 | コメント (2) | トラックバック
フィールグッド・マーケティング
企業の「社会的責任」が
ますます重視されるようになってきた昨今、
メインの事業活動である、
「マーケティング活動」(商品開発~広告宣伝~販売)
の中に「社会的意義の高い要素」を組み込む動きが
増えていますね。
最近大きな関心を集めたものとしては、
ミネラルウォーターのボルヴィックが日本では
2008年に実施した
『1L for 10Lプログラム』
が挙げられます。
これは、飲料水不足に苦しむアフリカの人々の救援と、
アフリカの水と衛生に関する問題に対する関心と理解を
高めることを目的としていました。
具体的には、
消費者が購入したボルヴィック1リットル当たり、
10リットル相当の安全な飲料水を生み出せるように、
井戸掘りなどの現地活動を支援するというもの。
ボルヴィックのWebサイトを見ると、
2008年の同プログラムによって
アフリカのマリ共和国に生まれる飲料水は
11億リットル強。
これにより、マリ共和国の子どもたちとコミュニティ、
20,000人以上へ、清潔で安全な水が10年間にわたり
供給されるのだそうです。
ミネラルウォーターにも、
たくさんの競合製品がありますよね。
もし、特にこだわりがなければ、安全な水が飲めずに
苦しんでいるアフリカの人たち助けることにいくばくか
貢献できる
「ボルヴィック」
を積極的に選んだ消費者が多かったのではないかと
思います。
なぜ、積極的に選んだのでしょうか?
それは、端的に言えば、
そうすることが
「気持ちよい」(Feel Good)
からですね。
言い換えると、
「いいことしてる感」
があるからです。
さて、ボルヴィックの場合、いわゆる
「途上国支援」
をマーケティングに組み込んだわけですが、
それ以外にも、
・環境保護(リサイクリング、カーボンオフセット等)
・絶滅危惧種保護
・フェアトレード(公平貿易)
・里山再生
など、さまざまな社会貢献の方法が、
企業のマーケティング活動に組み込まれるように
なっています。
こうした施策は以前から、
CRM:Cause-Related Marketing
~コーズ・リレーテッド・マーケティング~
(大義名分を掲げたマーケティング)
と呼ばれてきましたが、もはや誰でも知ってる
CRM:Customer Relationship Management)
と違って、このもうひとつの「CRM」は、
あまり認知されていない状況だと言えます。
おそらくその理由は、
‘Cause’
という英単語になじみがなく、
日本語に訳しにくかったことがあるでしょうね。
また、そもそも社会貢献活動を一体化させた
マーケティングが大きなトレンドとなってきたのは
この数年だということもあるかと思います。
先ほど、消費者がボルヴィックを
積極的に選択したのは、そうすることが
「気持ちよい」(Feel Good)
からであると申し上げましたが、
リサイクルやカーボンオフセットのような
環境保護につながる商品を購入する背景にも、
やはり単に自分のニーズを満たすだけでなく、
「気持ちよい」「いいことしてる感」
があるから。
自動車業界では最近、
ハイブリッド車が売れてますよね。
これは、もちろん燃費が良くて経済的ということ
だけでなく、二酸化炭素(CO2)の排出量が少ないため、
それだけ「環境保護」にも役に立ってるという
「気持ちよさ」
が得られるからではないでしょうか。
そこで私は
CRM(Cause-Related Marketing)
に変わる言葉として、
社会貢献につながる要素を組み込んだ
マーケティングのことを
「フィールグッド・マーケティング」
と呼んでみたいと思います。
既に、欧米では「社会貢献的要素」のことを
「フィールグッド・ファクター」
(Feel-good factor)
と呼ぶ向きもあり、
それをどうマーケティングに組み込むか、
いろいろと実践&研究が盛んです。
「フィールグッド・マーケティング」
という言葉が果たして定着するかどうかはさておき、
上述したような動きが、今後ますます盛り上がるのは
間違いないでしょうね。
投稿者 松尾 順 : 12:47 | コメント (0) | トラックバック
桜の花にピンクのライトアップ
昨年3月に、
赤坂のTBS旧社屋跡地にオープンした複合商業施設、
「赤坂サカス」には、約100本の桜が植えられています。
昨年は、まだ根付いていなかったためか、
ほとんど咲かなかったのですが、
今年は満開の花を咲かせました。
ところが、夜間のライトアップが問題。
なんとピンクの照明が当てられていたんですよね。
実際、ご覧になった方は、
共感いただけると思うのですが、
ほんのりピンクの桜の花に、
ピンクの照明を当てて打ち消してどうする。
アホか!!
という感じです。
なんというセンスの悪さ。
と思ったら、千鳥が淵の夜間のライトアップも、
今年から白からピンクに変更されたのだそうです。
ライトアップ担当の人は、
何考えてやってるんでしょう・・・?
ピンク色にわざわざ変更するということは、
なんか根拠あるんですかね。
投稿者 松尾 順 : 09:52 | コメント (0) | トラックバック
ユニバーサルカーブと草食系男子
1匹(頭)のメスを巡って、
2匹(頭)のオスが激しく争う。
発情期を迎えた動物たちが、
何十万年も前から繰り返してきた行為ですね。
他のオスと戦い、勝利を収めることによって、
オスは自分のたくましさ、生命力をメスに示す。
メスもその魅力に惹かれて、オスを受け入れる。
私たち人間のオス(男)も同様に、
好みのメス(女)を獲得し、またメスから選ばれるために
オス同士での「強さ」を競い合ってきました。
昔の西部劇などでは、
1人の女性を巡って決闘をするという場面が
ありましたよね。
まあ、さすがに現代では、
恋人を巡って殴り合うという人は少ないと思いますが、
変わりに様々な方法で男性は競い合ってます。
例えば、スポーツ選手が持つような行動な身体能力や、
学歴などで示される高い知性だけでなく、お金であったり、
地位・権力であったり、車などの所有物などによってです。
さて、女性を獲得するための男性同士の戦いは、
自分の血を後世に伝えるために遺伝子に組み込まれた
プログラムと言えます。
このため、基本的に、
男性は思春期を迎えると攻撃的になります。
そして、他の男性に負けたくないというプライドのために、
すぐに揉め事を起こしがち。
時にやり過ぎて、
相手を殺してしまうことにもなります。
ですから、横軸に年齢を取ったグラフで、
年齢別の殺人率(他人を殺めてしまう率)を描くと、
男性の20歳前半のそれがぐんと高くなるカーブに
なります。
つまり、右側(20代前半)にグラフのピーク(頂点)
があり、ガクンとさがって、そのあとは年齢が高く
なってもほぼ横這いが続くので、近年ネット業界で
流行った
「ロングテール」
のような形をしています。
このグラフの形は、
世界のどの国でもほぼ同じであることが
わかっているため、
「ユニバーサルカーブ」
と呼ばれています。
国は変われど、
男性の気質は変わらないということですね。
ところが、近年、日本では
「ユニバーサルカーブ」
が消滅してしまいました。
若い男性が以前よりも攻撃的でなくなり、
殺人を犯さなくなったのです。
(凶悪さは増加しているかもしれませんが)
年齢別殺人率のグラフを見ると、
ほぼ平坦な線が続きます。
そして、若年男性よりも、
むしろ中年男性の殺人率のほうが
若干高いくらいなのが最近の傾向なのです。
なぜ、日本の若い男性は
以前ほど殺人を犯さなくなったのでしょうか?
ひとつには、豊かな社会となった日本では、
殺人を犯すことによって失うものがあまりに
大きいから、自制するようになったという点
が挙げられます。
多くの若者が貧困にあえぐ国では、
失うものが少ない上に、その貧困さからくる絶望が
攻撃性をより高めているのと対照的ですね。
ただ、もう一つ大きな理由があると思います。
それは、好みの女性を獲得するために、
また自分を選んでもらうために、
強さ、たくましさ
を女性に示す価値が低下してきたという点です。
現代の女性も、
地位、名誉、金、容姿を兼ね備えた
「白馬の王子さま」
が自分を迎えに来てほしいという願望は
持っていますよね。
しかし、現実を振り返ると、
「白馬の王子さま」と呼べる男性はほんの一握り。
実際には、それほど稼ぎも良くない男性と結ばれ、
共働きで生きていかねばならない可能性が高いこと
を自覚しています。
であるなら、いたずらに男性に
3高(高学歴・高年収・高身長)
を期待するよりも、むしろ
3低(低姿勢、低リスク、低依存)
の男性を選ぶことを志向するようになってきたのです。
3低の男性なら、
家事・育児も喜んでやってくれるだろうし、
上から目線の物言いをせず、他愛のない会話
にもつきあってくれるからですね。
つまり、端的に言えば、
現代の女性が求めているのは
強さ、たくましさ
よりも
かわいさ
なんですね。
こうした女性の男性を選ぶ基準の変化が
生み出したのが、このところ注目を集めている
「草食系男子」
でしょう。
「草食系男子」を
‘お嬢マン’
と呼ぶ牛窪恵さんによれば、
草食系男子とはおおよそ次のような人。
・おっとりとしてマイペース
「まあなんとかなる」とのんびり構えている
・多くはキレイ系
スリムで少食。ファッション、コスメへの関心高い
・女の子との食事も基本ワリカン
堅実で消費にしっかりメリハリをつける
・親・家族と仲良く、女友達にも紳士的
同じ部屋に泊まっても安全。基本、狼に変身しない
こんな穏やかな草食系男子(年齢的には20-35歳が多い)
が増殖した結果、若年男性の殺人率が低下し、
ユニバーサルカーブの消滅
という現象としても現れてきたというところでは
ないでしょうか。
それにしても草食系男子の増殖は、
日本の消費行動や文化に大きな影響を
与えつつありますよね。
ちょっと腰を入れて、
「草食系男子」
の生態を研究してみる必要が
ありそうです。
(参考文献)
『草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』
(牛窪恵著、講談社プラスアルファ新書)
投稿者 松尾 順 : 10:52 | コメント (0) | トラックバック
先が見えない「不安」、先が見えすぎる「絶望」
私は、メインのマーケティング関連のサービス
以外に、キャリアデザイン関連の仕事もやっています。
キャリアデザインの仕事に関わっていると、
人々のキャリアについての様々な悩みを聞いたり、
知る機会が当然ながら多くなるんですが・・・
このところの景気後退で増えている悩みは、
いつ現在の仕事を失うかわからない
といった、キャリアの先行きについての「不安」ですね。
まるで霧がかかっているような感覚。
人によっては真っ暗に感じているかもしれません。
前が見えないので、怖くて立ちすくんでいる、
どうしていいかわからない、ということなのです。
とはいえ、不景気になる前は、
不安がなかったかというとそんなことはないのです。
まだ、深刻な問題として顕在化していないため、
あえて不安を感じることを避けていたという人が
多いと思われます。
基本、人はばら色の未来を夢見たい。
「不幸な未来を考えたくない」
という心理があるんですよね。
さて、「不安」という心理は、
「解雇」や「降格」「減給」
のような具体的な問題として顕在化した時点では、
「焦り」や「あきらめ」
をもたらすことが多く、
不安を払拭するための行動につながりにくいと
言えます。
したがって、いたずらに
「不安」を感じないようにしたほうがいい。
しかし、平時において、
将来に対する一定の「不安」を感じていることは
むしろ必要で有意義なことです。
例えば、
「いつかこの先、もしかしたら首になるかもしれない」
という気持ちがあれば、
その時に備えて資格取得に挑戦するなど、
実際の行動につながりやすくなるからです。
さて、「今」にしか生きていない他の動物と異なり、
「未来」を予想することができる人間の心理は実に
複雑です。
先行きが見えすぎてしまってもダメなんですよね。
自分の上司の仕事内容を見て、
「この会社でがんばって昇進したところであの程度か・・・」
などと感じてしまい、
絶望したり、やる気を失った経験はありませんか?
この先がどうなるか、
あまりにもはっきりわかってしまうのは、
つまらないものです。
まあ、こんな見方しかできないのは、
「若さゆえの未熟さ」
から来ている面も大きく、
表面的には単純・簡単に思えた仕事の奥行きが、
実は意外に広いことに後になって気づくんですけどね。
先が見えないことによる「不安」
一方、先が見えすぎることによる「絶望」
どちらもネガティブな心理状態ではありますが、
前述したように、早めの不安、そしてまた絶望は、
それが未来に現実とならないためのポジティブな行動を
誘発してくれるので、勇気を持って向き合うべきなのです。
今回、キャリアをテーマに
「不安」「絶望」
といったネガティブな感情を取り上げましたが、
近年の消費行動には、ニーズ充足よりもリスク回避や
不安解消を動機とするものが多く見られます。
これについては別の機会に取り上げたいと思います。
投稿者 松尾 順 : 10:18 | コメント (3) | トラックバック
マタニティマークの悪用例
先日、
「マタニティマーク」(「おなかに赤ちゃんがいます!)
のことを書きましたけど、あるメルマガ読者の方から、
太った女性が、
席を譲ってもらうために悪用するケース
があるというメールをいただきました。
まあ、そんな人もいるでしょうが。
ある意味、すごい開き直りですよね・・・
投稿者 松尾 順 : 08:54 | コメント (0) | トラックバック
「実戦マーケティング思考」のオススメ
先日、人気メルマガ
『売れたま!』
の発行者としても知られる、
ストラテジー&タクティクス社長、
佐藤義典さんの最新著作、
『実戦マーケティング思考』
(佐藤義典著、日本能率協会マネジメントセンター)
を早速読んでみました。
本書は、近年発刊された様々な
マーケティング本の中でも、
とりわけ
「独創性(オリジナリティ)」
の高い内容であり、
“アイディア発想力を強化したい!”
と考えている方にオススメの本です。
さて、本書の「ウリ」は、
序文にも書いてありますが、
「論理思考とイメージ発想の両方をフル活用して
結果を出すスキル」
を体系化した点にあります。
論理思考は、いわゆる
「ロジカルシンキング」
のこと。
主として現状分析等のために
「物事を要素分解して整理する」
といったスキルです。
ちなみに、
3C、4P、7S、バリューチェーン
などの各種フレームワークの活用は、
論理思考のスキルに入ります。
本書では、「論理思考」については、
エッセンス中心に簡潔にわかりやすく
解説するにとどめてあります。
論理思考について詳しく書かれた本は
他にも山ほどありますからね。
とはいえ、本書をまず読んで、
「そもそも論理思考とは何か?」
という基本的な枠組みを頭に入れておくと、
他の論理思考の本の吸収が早いでしょう。
一方、本書の多くのページを割いて
手取り足取り丁寧な解説が展開されているのが
「イメージ発想」
のスキルです。
「論理思考」が、
段階的にきっちり考えを詰めていく
ようなものであるのに対し、
「イメージ発想」は、
「直感的」な「閃き」
のことであると、
佐藤さんは述べています。
佐藤さんによれば、
商品開発、あるいはマーケティング戦略を
考える際には、
論理思考とイメージ発想
の両面から考えることによって、
戦略的な一貫性を保ちつつ、具体性に富むアイディア
が出せるのだそうです。
これはどういうことなのか、
もう少し具体的に説明しましょう。
本書で説明されていることなのですが、
ダイレクトメール(DM)を作るとき、
「何」(WHAT)
を伝えるようとするかは「論理思考」で詰めるのです。
ターゲットはこんな人、
だから、その人のニーズはこう、
だから・・・
と順を追って考えるわけですね。
しかし、
「どうやって」(HOW)
伝えるかについては「イメージ発想」を駆使するのです。
ある時ふっと、
「こんなアイディアが使えるのでは・・・?」
(DMのデザインや開封させるためのギミック、
オファーなどについて)
といったイメージが「浮かぶ」まで、
考えを巡らせるわけですね。
ここで気になるのは、
「ではどうやってイメージ発想をするの?」
という点でしょう。
本書で極めて具体的に説明してあるのが
このスキルなのです。
佐藤さんは、
「イメージスキル」
と呼んでいるのですが、
大きくは以下の3つに分けて説明されています。
・静止画イメージ
・つぶやきイメージ
・動画イメージ
さらに、
論理とイメージ
を組み合わせた思考法として、
これまで日本ではほとんど紹介されてこなかった
「モーフォロジカル・アプローチ」
という、誰でも簡単にアイディア出しが
できてしまう画期的な手法の解説にも
踏み込んでいます。
アイディア発想法の本もいろいろありますし、
私もそのほとんどを読んでおりますが、
○○法
といった各種方法論の表面的解説に
止まっているものがほとんどです。
本書のように、具体例を挙げながら、
現場で即使えるような形で説明してあることが、
私が「独創性」が高いと評価する最大のポイントです。
正直なところ、
こんな本が書ける佐藤さんには
同じマーケターとして嫉妬を禁じえません(笑)
しかし、ここは素直に脱帽して、
皆さんにも本書の活用をオススメしたいと思います。
『実戦マーケティング思考』
(佐藤義典著、日本能率協会マネジメントセンター)
*ついでにこちらも併読されたほうがより効果的ですよ。