旭山動物園の必然(3)「生」への共感
旭山動物園の人たちは、長い低迷が続いていた時、
「そもそも動物園はどのようなものであるべきか」
すなわち、「動物園の存在意義」について徹底的に議論し、
次の4つの役割を再定義しました。
・レクリエーションの場
・教育の場
・自然保護の場
・調査研究の場
それからの再生の道のりも長いものでしたが、
役割を再定義することによって、様々なアイディアが生まれる
きっかけになり、また実現の原動力にもなったのでしょう。
さて、この4つの役割の中で最も重要なのは
やはり1番目のレクリエーションの場です。
小菅園長の言葉を引用すれば、
「動物たちと一緒の楽しい時間をすごし、
その中で動物たちの素晴らしさを感じてもらう」
ということです。
この役割、言い換えると「基本コンセプト」に基づいて
発想されたのが、既によく知られた
「行動展示」や「立体展示」
といった見せ方です。
例えば、陸上ではよちより歩きのペンギンたちが、水中では
まさに鳥類の仲間らしくスイスイと飛んでいるように泳げること。
あるいは、樹上生活者のオランウータンが地上17mの高さに
張ったロープを危なげなく軽快に渡ること。
旭山動物園では、そんな生き生きとした動物の姿を見ることが
できるような工夫が随所にこらしてあります。
こうして、動物たちが生まれ持った能力や習性を活かした自然な
動きをさまざまな角度から立体的に見せることによって、
それぞれの動物が持つ固有の能力や個性、魅力を伝えることに
成功したというわけです。
「この動物園では、アザラシはアザラシを生きている、
ペンギンはペンギンを生きている。」
とは、小菅園長との対談中の立松和平氏の言葉。
(「旭山動物園のつくり方」より)
動物園で飼育されている彼らは、確かに野生ではないけれども、
自らが持てる能力を発揮できる環境を与えられています。
むしろ、自然の脅威(天敵)がいない分、より幸せかもしれない。
そんな中で生き生きと活動する彼らを見ていると、
まぎれもない「生」を謳歌していることが人間にもわかる。
おそらく、「生きること」への共感を得ている。
そして、なかなか自分らしく生きることのできない自分への
励ましや勇気をもらっているんじゃないでしょうか。
一方、従来の動物園を振り返ってみると、
そこには、まさに「不自然」な環境におしこまれ、
やることもなく退屈そうに寝転がる動物ばかり。
終身刑を宣告されて、「死」をまつばかりの囚人のような姿。
そんな動物たちを見る人間もまた、
彼らに、自分自身の社会の中での窮屈な立場を投影し、
「お前たちも哀れだけど、俺も一緒だよ・・・」
みたいな、みじめな気分を味わうことになっていたんじゃないで
しょうか。(ちょいと大げさですね・・・)
つまり、「娯楽の場」というよりは、むしろ「落ち込む場」(笑)
になっていたのが、これまでの動物園だったと思います。
しかし、旭山動物園は、動物たちが「生」の充実を全うできる
環境を作り上げたことによって、基本のコンセプトどおり、
「生きること」の素晴らしさ・感動が伝わる場所になったのです。
投稿者 松尾 順 : 2007年04月24日 10:16
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