象を追い払う男

今日は、かなりメンタル寄りの話です。

「悪循環の現象学」(長谷正人著、ハーベスト社)という本の中に
こんな話が紹介されています。

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十秒毎に手をたたくのを繰り返す奇妙な男がいた。
なぜ、そんな変わった事をするのかと尋ねると、
彼は

「象を追い払うためさ」

と応えた。

「象をですか?でも、どこにもいないじゃないですか」

と聞き返すと、すぐさま彼は

「そのとおり。見たとおり僕が追い払っているから、
ここにはいないのさ。でも、象たちがここへ二度と戻らないように
するためには、こうやり続けなくちゃならないわけだ」

と答えた。

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この男のやっていることが変なことはすぐわかりますよね。

ただ、よく考えてみると、

「手をたたくことで象が現れない」

と考えているこの男にとって、

「手をたたく」

という行為にはなんらおかしいところはないのです。


上記の本では、この話を皮切りに

「行為の意図せざる結果」

ということについて議論が展開されています。


象を追い払う男の場合は、
「象がここに現れては困る」という恐怖に取りつかれた。

そこで、この恐怖を消すという「意図」の下に「手をたたく」という「行為」を
行ったのだが、いっこうに恐怖が消えてくれないという「結果」に終わったうえに、
彼はこの行為をやめるわけにはいかなくなった。

やめたとたん、象が出てくると信じているからです。

つまり、「行為の意図せざる結果」が招いた哀れな話なのです。


しかし、私たちは、この男のことを一笑に付すことはできないと
思いませんか。

なぜなら、この男がやっているようなことを普段の生活の中で
知らず知らずにやってしまっているからです。

たとえば、

「私はネクラだ。だから友達から嫌われるのだ」

と思いこんでいる人は、
心の中では友達がほしいという欲求を持っています。

しかし、自分はネクラだという思い込みが
この人を実際にネクラな人間にしてしまっており、
自分の思い込みどおりに、友達を遠ざけてしまういう結果をもたします。
(ちなみに、私の若いころにこんな思い込みを持っていました)

こうした思い込みというのは、端的にいえば「とらわれの心」です。
ものごとをありのままに、あるいは様々な側面から眺めることが
できなくなっている状態です。

人はしばしばさまざまな「とらわれの心」を持ちますよね。
そして、本当は望んでいない不幸な結果を招いていることが
多いのです。

自分が困った状態にある時、

「自分は何かにとらわれすぎてやしないか?」

と自問自答することが必要でしょうね。

投稿者 松尾 順 : 2006年02月25日 09:32

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