自分がやりたいことをして何が悪い
「ディレクターズマガジン」という、WEBデザイナーや
コピーライターなどのクリエイター向けの専門誌があります。
私も同誌を購読しているのですが、オーストラリアで活躍する
デザイナーさんのエッセイ的な記事が最近掲載されてまして、
あちらでのマイペースな日常生活をうらやましいと思いながら
読んでいます。
さて、オーストラリアは南半球ですから、日本とは季節が反対、
こちらが夏の頃、あちらは冬ですね。
オーストラリアと聞くと温暖なイメージがありますが、
冬はあちらでもそれなりに寒く、コートが必要だそう。
ところが、真冬にTシャツ1枚で歩いている人がいたり、
自宅の屋外プール(温水じゃないですよ)で平気で泳いでいる人
を見かけるそうです。日本では考えられないですね。
この記事を読んで考えたのが、日本人なら「他人がどう思うか」
という意識が先に立つだろうということです。つまり、他人の
評価を気にするし、それが自分の行動を左右します。
「他人指向」が強い人が多いのが日本人のようです。
一方、いわゆる欧米人は、「内的指向」が強い人が多いと
言われてきました。他人の目はあまり気にしない。自分が
やりたいかどうかという意識で行動します。
自分がやりたいことをして何が悪い、というわけです。
「自分指向」と呼ぶと、もっとわかりやすいかも知れません。
これまでの話をまとめると、欧米人は、自分の価値観により忠実、
しかし日本は他人に影響されやすい、ということです。
さて、心理学者の和田秀樹さんは、
内的指向の強い人を「メランコ人間」
他人指向の強い人を「シゾフレ人間」
と呼んでいます。
メランコ人間は、明確なアイデンティティを持っており、
1955年以前に生まれた人が多い。
シゾフレ人間は、自分がなく、周囲に合わせる傾向が強い人で、
1965年以降に生まれた人が多い。
若い人のせつな的で、流行に影響されやすい消費行動を
見ていると、なるほど若年層はシゾフレ人間だということが
うなずけます。
ここで、気になるのはインターネットや携帯電話の影響です。
大量の情報が簡単に入手可能で、世界中の人と24時間いつでも
コミュニケーション可能なツールの進展は、明らかに他人指向
を強めることになります。
これからますます、自分のない、他人に影響を受けやすい
シゾフレ人間が増えていくことになるのでしょうか?
投稿者 松尾 順 : 12:15 | コメント (0) | トラックバック
いいものは、ちょっと怪しい
魅力とは、「謎を探りたいと想う力」(原崎裕三氏)ということですから、
商品とかサービスは、ちょっと謎めいているといい。
こんな商品・サービスは、お客さんから見ると「ちょっと怪しい」と
感じるものになりますね。
変わったネーミングや怪しげなキャッチフレーズとか、要は、
これまでの知識では理解できない何かを感じる商品やサービス。
でも、結局、怪しいと感じるのは馴染んでいないからであって、
いったん商品やサービスが人気を博して有名になり始めると、
怪しさはだんだん薄まってきます。
むしろ、逆に、その怪しさをかもしだしていたネーミングが、
独自性や信頼の証しになる。
‘マインドリーディング’というネーミングというか、コンセプトも
「ちょっと怪しい」というところを狙っているんですが、実際、
どうでしょうね・・・?
あまり、怪しすぎると、当然お客さんが寄ってこないですから・・・(笑)
投稿者 松尾 順 : 10:31 | コメント (0) | トラックバック
スイッチオフ
携帯とかPCとかって、人間のコミュニケーション能力を
何倍にもしてくれる便利なツールですよね。
で、こうしたツールを活用して、やらなきゃいけないことをさっさと終わらせて、
空いた時間を自由に使えるのが理想のはずでしたけど・・・
実際にはツールが進化すれば進化するほど、時間に追いまくられてます。
携帯もメールもない時代、会社を出れば、
まず追いかけられることはなかったのに。
出張に行けば、仕事が終わった空き時間で羽伸ばしができたのに。
今はまず、携帯チェック、メールチェックです。どこにいても。
以前は、携帯できるコミュニケーションツールがほとんどなかったので、
会社とかを離れると強制的にスイッチがオフになったけれど、今は常時
オン状態ですね。
となると、自分でスイッチをオンにする意志が必要。
しかし、意志が弱い人にはなかなかできないことですけどね・・・
そういう私も、土曜日の朝からオン状態です・・・(^^;;
投稿者 松尾 順 : 10:13 | コメント (0) | トラックバック
可能性を感じさせること
作詞家、秋元康さんの先日の講演の中で、ドラマや番組出演者を
決めるオーディションの話が出ました。
そういうオーディションには、「オーディションの常連さん」と
いう人たちがいるんですね。「常連さん」という意味は、
いつも応募してくるけれど、いつも落とされてしまう人。
ちょっとかわいそうですが・・・
秋元さんによると、常連さんは、自分の魅力が十分に
わかっています。だから、例えば、脚がきれいな女性なら、
審査員の前でこれみよがしに足を組んでみせてアピールする。
でも、審査する側にとっては、彼女のセールスポイントが
最初から見えてしまっているので、かえって採用する気に
ならないそうです。ある意味、できあがってしまっているから。
むしろ、
「この子が洗練された身のこなしを身に付けたら、
ひょっとして、大化けするかも!」
と感じてしまうような、垢抜けない田舎娘の方が、
彼女の潜在能力を引き出せる可能性に期待して、採用してしまう
ということがあるそうです。
「マイフェアレディ」のイライザを思い出しますね。
先日書いた「積分する経験」に対する、TJさんのコメントで、
「それは、まだ不十分なサービスをお客さんがクレームつけて
育てていくようなものですか」
というのをいただきましたが、確かにそんな顧客と商品・サービス
の関わり方も、積みあがっていく利用経験としてあると思います。
PCのソフトウェアなんかは、もろそうですね。
当初はバグだらけだけど、お客さんからのクレームを
受けてバージョンアップを繰り返していく。
そうして、ソフトも洗練されていくし、お客さんも
自分が育ててきた「愛いヤツ」という気持ちが生まれます。
あまりにも完成された、つけいるすきのない製品やサービスは、
かえって面白みがないですよね。
高く評価するかもしれないけれど、愛着はわきにくい。
むしろ、多少不具合や欠点があったりする方が、
さらに良くなる可能性を感じさせてくれる分、より深く
関わってみようという気持ちになれるように思います。
これに近い話だと思うのが、販促クリエーターの原崎裕三さん
の考え方です。
原崎さんは、「円」と「球体」のどちらが魅力的かという問いに、
それは「球体」である。なぜなら、「奥行きがあるから」という
説明をしています。
つまり、原崎さんは、魅力とは「謎を探りたいと思う力」であり、
あなたの商品や企業、あなた自身を魅力のあるものにするためには、
謎めいた、奥行きを感じさせる必要があるとおっしゃっています。
一定以上のクオリティは当然クリアしている必要がありますが、
深い可能性を感じさせるものに、人は惹かれるんでしょう。
投稿者 松尾 順 : 12:14 | コメント (0) | トラックバック
慣れると好きになる
焼肉を食べるのは、人類だけですね。
「人類」というのはオオゲサですが、実際、食べ物を火で
焼いたり煮たりするのは人だけです。
もちろん、「火」を扱えるだけの知能があるからこそですが。
しかし、人類という種が誕生して間もない頃は、食べ物は
「生」でのみ食べていたはずです。焼いたり、煮たりする
という発想は、当初は生まれなかったでしょう。
新鮮な生肉、刺身、野菜、果物は、今では最高のごちそう。
しかし、昔はそれが当たり前の食べ方でしたから、
わざわざ調理する必要性は感じなかったでしょう。
しかし、山火事などで焼けた動物の肉があり、それしか食べる
ものがなくて、いわゆる「焼肉」を「試食」してみた。たぶん、
案外いける味だった。(笑)
こうした経験が、人類が、火を使って調理する始まりだったと
考えられています。生肉もいいが、焼いた肉の味にも慣れ、
そして好きになったということです。
なぜこんな大昔の話を始めたかというと、人は慣れると好きに
なるという心理原則を説明したかったからです。
大昔じゃない、最新のケースとして次のような新聞記事を
見つけました。ポイントをご紹介します。
あんパンで有名な東京・銀座の「銀座木村屋」の長男、
木村周一郎さんは、ニューヨークやパリでパン作りの修行を積み、
2001年7月、東京高輪でフランスパンの店を開店しました。
ところが、当初はまったく売れず、お客さんからは
「あんパンが欲しい」と言われる始末。
そこで、木村さんは、毎日20本のフランスパンを焼き、
店頭でお客さんに配ったそうです。
おかげで、開店の年のクリスマスには、行列ができるほどの
繁盛店となりました。
これは、21世紀の実話ですよ。
フランスパンって、案外売れないものなんですね。
私はけっこう驚きました。
よく考えてみれば、フランスパンもまだまだ一般消費者に
広く浸透しているとは言えないですよね。
普段、私たちがよく食べるのは、食パンや調理パンじゃない
でしょうか。
結局、東京都心の住民でさえ、フランスパンにあまりなじんで
いなかった。だから、木村さんはフランスパンを毎日試食して
もらって、味に慣れてもらったのです。そしてフランスパンが
好きになったお客さんが木村さんの店に押し寄せるようになった
のです。
食べ物に限らず、試したことがないから、慣れていないから
購入しないという心理傾向が人にはあるわけですから、
なんとかして、
トライアルしてもらう工夫
がとても重要なんです。
投稿者 松尾 順 : 12:09 | コメント (4) | トラックバック
人の集まるところに人は集まる
ジュリアナ東京、六本木ベルファーレをプロデュースした方を
ご存知でしょうか?
グッドウィルグループを率いる折口雅博氏です。
グッドウイルグループと言えば、介護サービスのコムスンが
ありますね。
折口さんは、多少強引な事業手腕がマスコミに叩かれることも
ありますが、事業家としては、事業成功のツボを見極める
‘天才’だと思います。
この事業成功のツボのことを折口さんは、ボウリングの
「センターピン理論」
と呼んでいます。センターピンに当てれば「ストライク!」
となるからです。
では、飲食店の「センターピン」は何でしょう?
「クレンリネス」(清潔さ)です。
どんなに味やサービスが優れていても、床にほこりが
落ちていたり、トイレが汚かったらまず流行りません。
客の立場としては、味やサービスはそこそこでも価格相応
であればまあ許せますが、汚いのはちょっと勘弁ですよね。
それでは、折口氏が大成功させたディスコの「センターピン」は?
それは、
「混んでいること」
だそうです。
確かに、ダンスフロアに数人しかいないようなディスコでは、
しけた感じがして行く気がしないですよね。
だから、ジュリアナ東京、ヴェルファーレのオープン時には
無料入場券をがんがん配って(女性中心に)、とにかく毎日
フロアを一杯にすることに注力したそうです。
ディスコにタダで入れるとなれば人が集まるのは当然です。
これは折口さんが‘仕掛けた’こと。しかし、一般大衆は、
「あそこは流行っているらしい」ということでますます人が
集まるようになる。
人は、人が集まるところに集まるんですね。
娯楽施設の場合、この「混んでいること」というセンターピン
はかなり普遍的な法則だと言えます。
旧ダイエーホークスの本拠地、「福岡ドーム」がたくさんの人を
集めるようになったのも、やはり当初タダ券を配ったから。
Jリーグのアルビレックス新潟の本拠地「新潟スタジアム」
の成功も同様。
どちらもトップの決断でしたが、周囲は
「タダ券配ってどうするんだ、売上がたたないじゃないか」
という反応だったそうです。
センターピンを見極めること、それはまさに顧客心理を
的確に解釈できること、マインドリーディング力にかかって
いると、我田引水ですが思います。
ちなみに、折口さんによれば、センターピンがわかるように
なるコツは「常に当事者意識を持つこと」です。
つまり、どこかレストランとか娯楽施設に行ったら、事業者側
の立場に、あるいは一人のユーザーの立場から、
「自分だったらどうするか(どう改善するか)、
どうあってほしいか」
と考える癖をつけることだそうです。
まあ、いつもこうしていると、純粋に料理を楽しむということが
できなくなりそうですけどね。
投稿者 松尾 順 : 12:25 | コメント (1) | トラックバック
積分する経験
日経MJが実施した「わくわく消費調査」。
これは、消費者を対象に、ブランドに抱く感動の度合いを
調査したランキング化したもの。
品質や利便性だけでなく、心地よさや楽しさなどの感情、
デザインなど感性の評価などを含む18項目で測定し、
ブランドが消費者にどんな経験や体験を提供する魅力があるかを
指標化しました。日経MJでは、これを「経験価値指数」と
呼んでいます。
さて、この調査、店舗・施設、および消費財のそれぞれの
カテゴリーのブランド(商品・サービス)を調べたんですが、
総合ランキング一位のブランドは何かおわかりでしょうか?
そうです。「東京ディズニーランド・シー」です。
日経MJを読んでなくても、すぐにおわかりに
なったんじゃないでしょうか。
東京ディズニーランド・シーは、いまさら言うまでもなく、
わくわく、ドキドキの感動体験を与えてくれる場所としては、
文句なしのナンバーワンです。
確かに園内では、クオリティの高いサービスを提供してくれる
のですが、他のエンタテイメント施設と大きく違うのは
リピーター比率の高さ。
近年では、園内に来ている人の9割がリピーターだということを
聞いたことがあります。それであれだけ混雑しているのは、
リピートも1回や2回じゃなくて、何回も繰り返し訪れている
ということです。
実際、私もこれまで6-7回は行っています。
なぜ、ディズニーランドには繰り返し行きたくなるのでしょうか。
逆に言えば、なぜ、何度行っても飽きないのでしょうか。
他のテーマパークは大体1回か2回行けば、「もういいかな」
と感じて、二度と行くことがありません。いきおい、リピーターを
獲得するためには、絶叫マシーンなどの新しい施設を継続的に
投入していく必要があります。そのための投資は莫大。
それでも、やはりお客さんはすぐに飽きてしまうのです。
結局のところ、他のテーマパークでの経験は消費するもの、
使い尽くす経験になってしまっているのです。
繰り返し行くたびに、ワクワク感が減衰していく。
これは、「微分する経験」(右下がりに感動が減っていく)
と言えます。
ところが、ディズニーランドは「積分する経験」なのです。
行くたびに、右肩上がりに思い出が積みあがっていく。
消費してしまうのではなく、蓄積されていく。
例えば、家族で訪れ、はしゃいでいる子供を見ながら、
「前回は、身長制限で引っかかってスペースマウンテンに
乗れなかったけど、今回は乗れるようになったんだな・・・」
とか感慨に浸る、ということがおそらくあちこちの家族で
起きています。
この‘ディズニーランドでの経験は「積分する経験」である’
という考え方(仮説)は、一橋大助教授、楠木建氏から
1年ほど前に聞いた話です。
以来、この言葉がずっと引っかかっています。「積分する経験」
となる要因が明確にできれば、それは、他の商品やサービスの
リピーター率向上の特効薬になるからです。
残念ながら、今はまだ、私の中に明確な答えはありません。
一緒に考えてみませんか?
投稿者 松尾 順 : 20:26 | コメント (2) | トラックバック
並存する欲求
人間の欲求にはどんなものがあるんでしょうか・・・?
どんな欲求があるのかわかれば、それをうまく刺激する
ことで、購買意欲を喚起することに役立てることができる
はずですね。
さて、マーケティングで必ずといっていいほど紹介されるのが、
「マズローの欲求五段階仮説」です。
これは、人間の欲求は、
1 生理的欲求(食べたい、やりたい・・・)
2 安全と安定の欲求(危険にさらされたくない)
3 所属と愛情の欲求(仲間が欲しい、愛されたい)
4 尊敬の欲求(尊敬されたい、大切にされたい)
5 自己実現の欲求(自分らしさを発揮したい)
という5段階があり、1段階が満たされて初めて2段階、
2段階が満たされて3段階目へと欲求が高度化していく
というものです。
まあ、けっこう納得できるし、妥当性のある理論ではあります。
しかし、いいかげん耳タコ状態ですね。
また、本当にそうなんだろうか、という違和感があります。
自己実現欲求」と言う言葉の意味もどうもピンとこない。
(正直に告白しますが・・・(^^;;)
マズローの理論に違和感を強く感じるようになったきっかけは、
心理学者、フランクル氏の「夜と霧」という本を読んだこと
でした。
この本は、第二次世界大戦中のアウシュビッツ収容所に
ユダヤ人であったがために収容された彼の体験記です。
アウシュビッツの地獄からかろうじて生還したフランクル氏は
後に、「フランクル心理学」という領域を打ち立てます。
それはさておき、アウシュビッツでは毎日過酷な重労働を
やらされます。ぎりぎり死なない程度のわずかな食事
が与えられ、ガス室に送られる順番を待つだけの毎日です。
マズローの仮説で言えば、第一段階の生理的欲求でさえ
満たされていません。しかし、彼は驚きとともにこんな
出来事を観たことを記しているのです。
重労働に向かう道をとぼとぼと歩いている人々が、
道端に咲く花を決して踏み潰さず、大切に愛でていること。
あるいは、夕日の美しさに皆が集まり立ちつくしたこと。
つまり、死を待つだけの絶望的な状況であっても、
最低限の欲求さえ満たされいなくても、
より高次の欲求を求めることがあるということです。
実際、人は「愛」のために死ねるじゃないですか・・・
そこで、マズローほど知られていない理論をご紹介します。
アルダファという心理学者が提唱する「ERG理論」です。
ERG理論では、人の欲求を3つに分けています。
(マズロー論との関係)
1 生存の欲求 Exsistence =生理的、安全、安定欲求
2 関係欲求 Relatedness =所属、愛情、尊敬欲求
3 成長欲求 Growth =自己実現欲求
これらの欲求は、右側に対比させたようにマズローの5段階
とも内容においてはほぼ同じなのですが、ERG理論における
ポイントは、この3つの欲求が並存するということです。
どれが低次の欲求、高次の欲求ということでなくて、
この3つの欲求が同時に存在しており、人によって、
また状況によってそれぞれの欲求の強さが異なってくる
ということです。
人間の行動を見ていると、ERG理論の方がマズロー
よりもより妥当性があるように思いませんか。
*本日の内容は、人材コンサルティング会社、ワトソン
ワイアットのコンサルタント、川上真史氏のお話を元に
しました。この場を借りてお礼申し上げます。
(川上氏は早稲田大で心理学の講師もやられています)
投稿者 松尾 順 : 05:47 | コメント (0) | トラックバック
女王陛下と大統領
アップルのiPod、超軽量薄型のnanoや動画対応など、
立て続けに新製品を出してきてますね。
これは、完全にリーダーの戦略を取っています。
つまり、フルラインアップで製品を揃え、さまざまなユーザーの異なるニーズに、
できるだけ自社の製品で対応してしまう。そうすることで、競合他社を完全に
封じ込めるのが狙いです。
つけいるすきを与えない。プラグで全部の穴をふさいでしまう、という言い方を
します。
最大の競合であるソニーさんも、ネットワークウォークマンで魅力的な新製品を
いろいろ出してきています。しかし、ソニーのストリンガー社長が自ら認めている
ように、数千曲も持ち歩けるiPodと直接競合する気はないようです。
確かに、現時点では、別の切り口でないとiPod攻略は難しいでしょう。
さて、iPodは、英国のエリザベス女王陛下も愛用しているそうです。
「女王陛下御用達」というわけで、売れ行きをさらに押し上げる効果
がありました。
アメリカのブッシュ大統領もまた、iPodがお気に入りです。
で、宣伝文句というか、アップルの広告ではないでしょうけど、
こんなキャッチコピーが生まれています。
「ブッシュでさえ使えるiPod」
投稿者 松尾 順 : 17:12 | コメント (0) | トラックバック
Webサイトは自動販売機か?
インターネットが、もはや日常的なメディアへと成長を遂げ、
Webサイトが消費者との最も重要な接点のひとつと
言えるようになってきました。
なにしろ、24時間いつでも消費者とのコミュニケーションが
可能なのですから。
もちろん、Webサイトの情報(コンテンツ・機能)は
あらかじめ作りこまれた情報であって、ナマのコミュニケーション
ではありませんが。
さて、以前、インターネット広告の営業をする時、
こんなたとえ話をお客様にすることがありました。
「Webサイトは、砂漠の中にポツンと置かれた自動販売機です。
ただ自動販売機を置いておけば客がやってくるというわけでは
ないんです。
だから、インターネット広告を使ってWebサイトが置いてある位置を示し、
また誘導する必要があるんですよ」
最近は、Googleのような検索サービスの検索結果で、
上位に表示されることがとても重要になってきていますが、
上記の説明はいまだ有効だとは思います。
しかし、Webサイト=自動販売機というたとえは、
どうもあまり適切ではないと感じるようになってきました。
どちらも、24時間営業、お客さんの一定のニーズを
充足するモノ・サービス(情報)を提供しているという点では同じです。
しかし大きな違いが消費者の心理にあります。
それは、消費者は、自動販売機には「ひとの気配」を
期待しないが、Webサイトには「ひとの気配」を意識的・無意識的に
期待しているという点です。
ようするに、自動販売機は単なる機械、それ以上でもそれ以下でもない。
でも、Webサイトは最終的に人と人をつなぐメディアであるために、
単なる機械程度の対応しかできなければお客さんは
怒り出すということです。
だからこそ、Webサイトを立ち上げればOKというわけではなく、
問い合わせに対する迅速な対応ができるよう、
裏の仕組みも充実させておかなければならないのです。
また、サイトのデザインや使い勝手(ユーザビリティ)も、自動販売機
以上に「人」を感じさせることが必要になってきます。
これは当たり前のことのようで、まだまだ理解できていない人が
いらっしゃいます。
逆に、自動販売機には、人間らしくはなって欲しくないですよね。
人の声で「ありがとうございました」くらいまではいいですが、
開発が進められているらしい最新の自動販売機では、暑い夏には、
「暑いですね」といったり、夕方には「お仕事ご苦労様です、一本
おまけしときます」などと、状況に応じてカスタマイズされた声が
流れるようです。
やめてくださいよ、なんか気持ち悪いです。
そう思いませんか。
投稿者 松尾 順 : 08:47 | コメント (0) | トラックバック
意味のある行動
「君たちは、ただ生きるために生きているね、たぶん悩みなんか
ないよねぇ。いいなあ」
日のあたる縁側で気持ちよさそうに手足を伸ばしている猫や
ボールを追いかけて元気に遊んでいる犬を見ると、
いつもこんなことを思います。(笑)
犬や猫に感情がないとは思いませんが、少なくとも、
なぜ自分はここにいるのか、またなんのために生きるのか」
といった自問はしないでしょうね。
幸か不幸かわかりませんが、人間だけがこんな哲学的な問いに
悩まされるんだと思います。ようするに、自分の生きる意味や
価値を求めずにはいられない。
だから、モノを買う、サービスを受けるといったことにも、
金を使う、消費する以上の何かの意味を求めます。そして、
衣食住の最低限の欲求がほぼ満たされている欧米や日本では
特に、この「消費行動に意味を求める」傾向が強くなっています。
先日ご紹介しましたが、修道士が運営するオンラインショップ
から物を買うのは、ただ安いだけじゃなくて、それが修道院
の運営やチャリティに貢献できるという、大きな意味が付加
されているからなんですね。
モノがあふれる今の世の中、‘何を’買うかではなくて、
‘どこから’買うかが重要。したがって、自社製品・サービスに、
「消費以上の意味」を与えることが必要なんです。
さて、これに成功した企業のひとつが、高級腕時計ブランドの
「オメガ」です。150年の歴史を持つオメガは、最近びっくり
するほど売れているそうです。老若男女、幅広い層に支持
されています。
ところが、ほんの10年ほど前はどん底にあえいでいました。
中高年層が支持するだけの時代遅れのブランドであり、また
日本ではブランドイメージ自体が希薄でした。
こんな状況だと普通は大々的な販売促進活動に
乗り出すところですが、オメガは違いました。
環境保護活動に積極的に時間と金を投じたそうです。
皮切りは、ジャックマイヨールの起用でした。
ジャックマイヨールは、映画グランブルーの主人公のモデルと
なった人で、素潜りの天才。オメガは彼と一緒に、海洋保護の
ための様々な活動に取り組みました。
以来、ジャック以外にも、一般には知られていないけれど、
海洋関係の有名人と組んだり、日本では、「地球交響曲」
(ガイアシンフォニー)の映画製作にも協力してきたそうです。
環境保護活動自体は、オメガに直接の収益をもたらしません。
それどころか、利益が減る元となる金食い虫です。トップの
信念がなければ、とても続けられなかったそうです。
しかし、オメガが環境保護活動に本気であることは、着実に
人々の心に伝わっっていきました。そして「本物」「信頼」
「真面目」といったブランドイメージを構築することに
成功したのです。
オメガは、自らのコミュニケーションを「間接話法」と
呼んでいます。自らの声で製品を積極的に売り込んだりする
ことは控え、環境関連のオピニオンリーダーとの協調によって
間接的に「オメガの思い」を伝える方針を貫いてきました。
オメガがやったことは、一見遠回りに見える活動ですが、
オメガを購入することに、環境保護への支援という意味を
付加することに成功し、長期的なブランドイメージの向上と、
結果的に業績の回復につながりました。
今回紹介した事例はまだまだ特殊なものかもしれません。
しかし、いつまでもただ、製品の優秀さや安さを訴えるだけでは、
消費者は振り向いてくれなくなるかも知れませんよ。
投稿者 松尾 順 : 12:12 | コメント (2) | トラックバック
第三の場所
私たちはみんな、仮面をかぶって毎日を送っています・・・
「仮面」というのはちょっと怪しい表現でしたが、職場や
家庭など、それぞれの立場で求められる役割を果たすために
自分の性格を使い分けているという意味です。
この「仮面」は、心理学などでは、パーソナリティの語源に
あたる「ペルソナ」と言うことがあります。役割に応じて、
ある意味、「本当の自分でない自分」を演じているような
ものなので「公的な性格」とも言われます。
たとえば、実際には気弱な性格であっても、会社でリーダー
の立場にあったら、断固とした性格であるかのように振舞う
必要がありますよね。そうでなければ、部下たちが不安を
抱きますし、ついてきてくれません。
もちろん、家庭においても、夫・妻、あるいは親として
ふさわしい自分を演出しなければなりません・・・
外で仮面をかぶっているのがつらいからといって、
家に帰ったとたん、仮面を外してまったくの素の自分を
さらけだしてしまったら、家庭が崩壊してしまいます。
だから、実は家庭は本当の意味ではくつろげる場所では
ないのかも・・・
たとえ一人暮らしでも、近隣には顔見知りがいますから、
なかなか素の自分になれる場所がないものです。
でも、ずっと仮面をかぶったままでは、精神的に参って
しまいます。そこで、心理カウンセラーの諸富祥彦氏は、
「第三の場所を持ちましょう」
と提案しています。
「第三の場所」とは、理想的には秘密の隠れ家です。
小学生の時に見つけようとした「秘密基地」です。
職場でも、家庭でもない、知り合いが誰もいない、たった
一人になれるところ。
最近は、職場でも家庭でも時間に追いまくられることが
多くなってきているせいか、みんなすごいストレスを
ためてますよね。だから、意識的に、あるいは無意識に
「第三の場所」を求めているんじゃないでしょうか。
そうした消費者の欲求をつかんでいるのが、例えば
「漫画喫茶」でしょう。あるいはちょっと休憩・昼寝が
できる個室を時間貸しで提供しているスペースです。
独身でなくても、第三の場所を求めてあえて一人で
お酒を飲んだり、食事をしたり、旅行するという
パターンもますます増えてくるかもしれません。
「本当の癒し」とは、自分の仮面、ペルソナを外せる
環境で得られるものです。
「第三の場所」を提供できる商売が、これからもいろいろと
出てきそうですね。
投稿者 松尾 順 : 10:10 | コメント (0) | トラックバック
感覚優位性
松下電器がヒット製品を連発しています。
おかげで業績も絶好調、V字回復を成し遂げました。
この背景には、中村邦夫社長の強烈なリーダーシップや
マーケティング部門の再編があるのですが、もう1つ、
デザインの要素があると私は考えています。
松下の製品は、以前より明らかにセンスの良いデザインが
増えていますね。特にパナソニック製品(テレビ、DVD、
デジカメなど)には、一貫したブランドイメージが反映されて
いることが感じられます。
ソニーも安閑とはしていられない高いレベルのデザインです。
実は、パナソニックには、門外不出の「デザイン原器」と
いうものが研究所に置かれています。この「デザイン原器」は、
パナソニック製品のデザインに一貫性・統一感を与えるための
「デザインのひな型(プロトタイプ)」です。
この「デザイン原器」の特徴は、
“遠くから見ると単純明快なフォルムながら目を引く特徴を
持つこと、そして近くで見れば細部へのこだわりと
高い感性品質を持ち、全体と部分が絶妙なバランスを
保っている”(*1)
だそうです。
「デザイン原器」が製作されたのは3年ほど前のようですが、
すべてのパナソニック製品は、このデザイン原器と照らし合わせて
チェックされます。もし、デザイン原器とかけ離れたデザインで
あった場合はやり直しになるのです。
企業のブランド構築において、デザインの重要性はこのところ
急激に大きくなってきていますが、松下もまた、デザインの重要性
に目覚め、こうした取り組みに積極的に取り組んだわけです。
結果として、ヒット製品を連発できる成果につながったのでしょう。
デザイン、それは、前日も書いた五感を刺激します。そして理屈
を超えた感情をわきあがらせます。ブランド力とは、信頼に加えて
感情的なつながりのことです。好ましい感情を引き出すデザイン
でなければ、ブランド力は強化できません。
他の業界の例を紹介すると、自動車メーカー、マツダの最近の
ブランド力復活の背景にあるのも、優れたデザインへの投資でした。
私は、デザイン(形状のデザインだけではなく、音、香り、肌
ざわりなどのデザインも含みます)に注力することは、言い換えると
「感覚優位性」
を確立することを目指しているのだ、と定義したいと思います。
本来、人は、機能・性能といった理性で評価・判断するだけ
でなく、デザインのような感覚を通じてメッセージを受け取り、
無意識のレベルで評価を下しています。
ですから、今までのように機能・性能レベルの次元だけでは、
優位性を確立することはできません。
「人の感覚に訴えるという視点での優位性を確立すること」
これからの企業はこれが求められていると思いませんか。
(*1) 日経デザイン2004年2月2日の記事より引用
新車の香り
自動車販売店のショールームに展示してある車に乗ってみる。
真新しいシート、輝くフロントパネル。
「やっぱ、新車はいい!」
と思いますよね。購買意欲がめちゃくちゃ刺激されます。
先立つものがないと行動に移せませんが・・・
さて、新車の魅力に、あのなんともいえない「香り」があります。
「あの新車の香りが好きなんだよ」と明確に意識されている方も
いるでしょう。しかし、香りのおかげで新車に対する魅力が
さらに高まっていることに、自分では気づかない人も多いんです。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚(皮膚感覚)のいわゆる「五感」
で感じた情報は、人に「心地よい」「楽しい」「不快だ」などの
感情を呼び起こします。
ここで着目したいことは、どうしてそんな感情が出てきたのか、
あまり自分で意識しないことが多いのです。理由を聞いても、
「なんとなくね・・・気持ちいいんだよ」
といった答えしかこないでしょう。
でも、五感が呼び起こした感情が、消費行動に大きな影響を
与えています。
だから、実は「新車の香り」は、工場で出荷される時に、
車のブランドごとに独自の香りを人工的に植えつけられています。
香りの効果は6週間ほど続くそうで、新車を買ったお客さんは、
その香りに包まれて幸福感を味わうんですね。
もちろん香りだけではありません。
エンジンの音、ドアを開閉する音。
これらも、注意深くチューニングされています。
どの自動車メーカーにも、微妙な音を聞き分け、車に乗る人を
心地よくさせる音、ブランドイメージに調和した音に調節する
調音の専門家がいるのです。
考えてみれば、日本でもガンガン売れているオートバイの
ハーレー・ダビットソンの場合、あの独特のエンジン音が
ハーレーというパワーブランドの大きな要素になっていますね。
理性で判断する機能・性能だけでは製品の優位性が確保
できない現在、お客さまの5感にどんな刺激を与えるのが
有効か、ここでもマインドリーディング力が重要になって
きているんです。
話飛びますが、ミニシアターでは、上映されている映画に
よって客層が違ってきますけど、それぞれの客層に応じて
シアター内で販売するポップコーンの味を微妙に変えている
そうです。
そこまでやるか、と思いますけど、そこまでこだわる企業が
お客様の心をつかむんでしょう。
投稿者 松尾 順 : 10:31 | コメント (0) | トラックバック
プリンターインクを売る修道士
ご存知の方も多いと思いますが、ヨーロッパでは修道院でビールが製造されてますよね。
修道士たちが、キリスト教の修行の合間にビールの製造を行ってきたわけです。そして、ビールの収益で、修道院の運営費をまかなってきました。
ところが、最近は、ビールの代わりに、プリンターインクやトナー、コピー機、事務用品をディスカウント販売する修道院があります。しかもオンラインで。サイト名は「LaserMonks」、直訳すれば「レーザー修道士」。かなりヤバイ名称ですね。(^o^)
修道士たちは、毎日5時間のお祈りを捧げるため、実際の運営はアウトソーシングです。しかし、修道士は、カスタマーのために祈りを捧げているそうです。また、問い合わせ電話をかけて待つ時には、グレゴリオ聖歌が聞こえてきます。
このように、修道院のイメージや価値観を反映させたオンラインショップは年商250万ドルをあげ、修道院は毎月1万ドルのチャリティ基金を得ています。カスタマーの定着率はなんと「90%」ということなので、今後も安定した売上げが見込めます。
この話は、宣伝会議(10/15)の口コミマーケティングの事例として紹介されていました。レーザー修道士のサイトがこれだけ成長できたのは、社会貢献型のユニークな事業活動がUSAトゥディなどのマスコミに掲載されたことをきっかけに、口コミでユーザーが広がっていったからです。
確かに、インクやコピーを販売している修道士なんてすごく変わってます。思わず口コミしたくなります。しかも、レーザー修道士から買えば、宗教活動やチャリティに直接・間接的に貢献することができます。単にモノを消費するだけでなく、社会的な意義がある。カスタマーの高い定着率も当然でしょう。
さて、ひるがえって日本のお坊さんはどうでしょうか。
日本にはお寺が約7万5千もあります。郵便局の数の3倍です。各お寺は、一定数の檀家(=固定客)を抱え、檀家の葬儀のお布施などで収入を得ています。ところが、上述したように過当競争である上に、地方になると過疎化が進み、檀家の数が減っています。都会でも、逆にお寺とのつながりが弱い人が増えているので檀家の数は減るばかり。経営難により将来的にはお寺の大幅な減少が見込まれます。
だとすれば、お寺もレーザーモンクを見習うべきじゃないでしょうか。
物品販売ではないけれど、寺院内でコンサートを開催するところも出てきていますよね。従来の檀家制度に寄りかかったままでいるのではなく、知恵を絞っていろいろ新規事業を手がけたらどうなんでしょうね?
投稿者 松尾 順 : 11:03 | コメント (0) | トラックバック
スープか、ラーメンか
九州福岡生まれの私にとって、ラーメン(当然、とんこつ味)は、食べ物の中でも永遠の愛を捧げている対象です。とんこつ味だけじゃなく、あっさりした中華そばや辛い坦々麺も好きですが。
ただ、ラーメンというとやはりカロリーが高い!中年太りを気にしているので、食べる回数をやむを得ず減らしています。カップ麺もあまり買わないようにしていました。
でも、いいものを見つけました。春雨や、ベトナムのフォーを使ったカップ麺です。カロリーはラーメン系の半分以下(一個あたり、だいたい200キロカロリー未満です)。味もなかなかいけますし、それなりに満腹感があります。最近の健康志向とマッチしていることもあり、市場は急成長。現在の3強は、エースコック、味の素、龍口食品です。
興味深いことに、各社は、「スープはるさめ」といった名称を使っていることです。つまり、麺が入ったスープだよ、という見せ方をしているわけです。(そういえば、海外では、カップヌードルは、麺が主役の「ヌードル」ではなく、「麺入りスープ」と認識されているそうですね。)これは、ラーメン=カロリー高い、しつこいといったイメージを持たせないためのネーミングです。
実は、カップヌードルで磐石の地位を誇る日清食品は、この市場参入に当たって、ネーミングに失敗しました。2005年5月、フォーを使った低カロリーカップ麺を「アジアンヌードル」という名称で売り出したのですが、売れませんでした。関係者によると、やはりラーメンと似たイメージを持たれてしまったことが原因でした。(実際食べてみると、味自体は決して悪くありません)
私たちは、ある名前を見たり聞いたりすると、それに結びついた記憶を呼び起こして「それはいったいどんなものか」という評価をしようとします。未体験の商品やサービスの場合、結びついた記憶が存在しませんから、できるだけ近い、類似の記憶と結びつけて「・・・みたいなもの」という形で理解するわけです。
「スープ」と聞けば、たとえそれが麺入りであっても栄養豊富、健康なイメージがだいたい浮かびますね。でもカロリーが高いというイメージは結びつきません。一方、「ヌードル」と聞けば、ラーメンが即座に連想され、「おいしいけれど、でも太りそう」という、購入を抑制するネガティブな意識が発生してしまいます。
ネーミングがいかに売上げを左右するか、という直近の事例でした。
投稿者 松尾 順 : 09:56 | コメント (0) | トラックバック
矛盾した欲求
女性にとって、ファッションは大事な自己表現の手段です。
もちろん、男性にとっても大事ですけれど、女性のこだわりは半端じゃないですよね。
女性の場合、新しく服を買う時たっぷりと時間をかけますが、矛盾した欲求のはざまで悩むせいじゃないでしょうか。それは、ひとつは、「他の人と違う、自分らしさを演出したいという気持ち」、もう1つは、「あまり他の人と違い過ぎたくない」という気持ちです。
自分らしさを演出したいという気持ちは、認められたいという欲求(承認欲求)につながるものです。つまり、集団の中でその他大勢として埋没したくはない、だれかに自分の存在を認知して欲しいということ。
一方、あまり他の人と違い過ぎたくない」というのは、違いすぎると異端扱いされてしまうので、そうならないよう、周りの人とうまくやっていきたいという欲求(同調欲求)が働いています。
人はそれぞれ異なる人格を持つ独立した存在でありながら、集団を作ってお互いに助け合いながら生活する社会動物です。このため、個人としての存在と社会の中での存在がしばしばぶつかることがあるわけですね。
こうした矛盾が発生するのは、そもそも自分と他人という区別を人間が意識するようになったからでしょう。
「えっ、それはどういう意味?」と疑問を持たれるかも知れませんが、たとえば、アリや蜂などはおそらく自分と他の仲間の違いを意識していません。もちろんお互いに触覚を突き合わせてコミュニケーションを取りあいますが、それは、一人の人間の頭脳が自分の手足や胃などの各器官とコミュニケーションを取り合うようなものです。つまり、アリや蜂の巣全体がひとつの生命体であり、一匹いっぴきのアリや蜂は、個別に自由に動ける器官にすぎない、と考えることができるからです。あの人間に近い知能を持つイルカでさえ、実は、自分と他の仲間が違うという意識を持っていないそうですよ。
「自我」の芽生えが、いろんな面で人を悩ませていますね。
もっとも、スーパーモデルのナオミキャンベルくらいになると、同調欲求は不要ですね。突出した存在であることに価値がありますから。また、彼女の承認欲求の強さがトップにのし上がる上で大事な要素になっています。先日は、自分と似たドレスを着ていたからという理由で、モデルのイヴォンヌ・スキオに殴るけるの暴行を加えたくらいです。
効率的に飲める場所
私の事務所(文京区本郷)の近くに、最近流行りの立ち飲み居酒屋がオープンしました。
店名は、‘豚とん拍子’。立ち飲み屋さんらしい、軽快なネーミングですね。
まだオープンして2-3日ですが、かなりのにぎわい。カウンターに腰高の丸テーブルが4台ほど置いてあるだけの狭い店内に、仕事帰りのサラリーマンがあふれています。入り口が開放してあるので、気楽にふらふらと入りたくなる気持ち、すごくよくわかります。
立ち飲み屋というと、新橋や神田駅前のガード下で愛想のないおやじさんがやってるお店、飲むのはビールか日本酒、みたいなうらぶれたイメージがあります。しかし、立ち飲み屋ニューウェーブは、垢抜けた内装、若いスタッフ、ワインもある豊富な酒類など、若者、女性も抵抗なく入れる店が増えています。
でも、そもそも最近になって、なぜ立ち飲み屋が増えてきているのでしょうか。
飲み物やつまみの値段は手ごろではありますが、和民とかの通常の居酒屋とあまり変わりません。単に安いからだけがウケる理由ではないでしょう。
私が思うに、立ち飲み屋は「効率的に飲める場所」だからじゃないでしょうか。
成果主義の世の中、どんなことにも効率が求められます。効率とは、インプットとアウトプットの比率のことです。簡単に言えば、より少ないインプットで、最大のアウトプットを出すことができれば効率が高いというわけです。
立ち飲み屋は、安いことに加えて、短時間で切り上げることができます。つまり、最小限のお金と時間で、適度な酔いとその効用であるリラックス感が得られるのです。以前、よく仕事帰りに、「居酒屋で軽く一杯!」と行ったが最後、ずるずると飲み続け、夜中にタクシー帰りということが何度もありました。今はそんな余裕がなかなかありません。(個人差あるでしょうけど)
現代人は、効率をあらゆるところで要請されるため、ついついそれが習い性となってしまった人が増えているのかもしれません。違う例を挙げると、急成長している1000円床屋も、値段の安さ以上に10分そこらで散髪が済んでしまう時間効率の良さが、人気の理由のように思います。
効率的に仕事をして、効率的に飲む。
なんだか、ちょっとむなしいかな。
投稿者 松尾 順 : 10:03 | コメント (0) | トラックバック
目は口ほどに・・・
「目は口ほどにモノを言う」という言葉がありますね。
実際、お客さま(あるいは、恋人の心!)の心を読む、つまりマインドリーディングするのに、目の変化をしっかり観察することが大切です。
実際、生まれながらにして、人は「目」に関心が高いようです。
心理学者の実験によると、生まれたばかりの赤ちゃんでも、すでに人の顔の造作(目、鼻、口の配置)を意味なるものとして認識できます。また、赤ちゃんのお母さんに対する目の動きを調べると、特に目に集中することがわかっています。相手とのコミュニケーションにおいて、「目」が重要な働きをすることを本能的にわかっているんですね。
そういえば、ちょっと前のセミナーに参加し、実演販売のプロの方のお話を聞いた時、ちょっとしたゲームをやりました。2人1組となり、言葉を使わず、顔の表情だけで「ありがとう」だとか、「愛してます」とかのメッセージを伝えてみるというものです。「そんなことできるのかな」、とか思いつつ、実際やってみると、結構相手のメッセージがわかるものです。で、どこを見てるかと言うと、やっぱり相手の目の変化を追っていました。
実演販売プロの方は、周囲に集まってきたお客さんの気持ちを敏感に察して柔軟に話を転がしていくテクニックがないと、人をひきつけられないし、その場でがんがん売ることはできないのでしょう。おそらく、お客さんの目をよく観察しているのだと思います。
また、いわゆる、営業マンが、商談において気をつけるべき第一のポイントも、相手の目を良く見て、お客さんの気持ちの微妙な変化を的確に判断することだと言われていますね。
では、目のどんな変化に注目したらいいのでしょうか。まずは瞳孔の大きさの変化でしょう。人は関心のあるものを見ると瞳孔が拡大するからです。これについては有名な実験があります。男子学生に対して、様々な写真を見せて瞳孔の変化を測定したのですが、最も大きくなったのは「トップレスの女性」、次いで「シャワーを浴びている女性」、逆に最も瞳孔が小さくなったのは「ボディビルダーの男性」でした。
まあ、納得です。しかし、「もしゲイの男子学生だけ集めて実験したら、逆の結果になったんだろうか?」なんてくだらない考えが浮かびました。(笑)
投稿者 松尾 順 : 06:31 | コメント (0) | トラックバック
敬う心
米国の高級車カテゴリーでは、BMW、メルセデスベンツより売れているトヨタ「レクサス」。
日本市場には今年の9月に、満を持して登場しました。約1ヶ月を経過した現時点での実績は、販売店への来場者数20万組、受注台数4600台と上々の滑り出しです。
レクサスの売りは、高級車にふさわしい重厚なしつらえの販売店と、高い接客力を持つ店員による丁寧なおもてなし。ターゲットが高所得者層ですから、そうした新たな販売スタイルが必要になったわけです。
販売店の幹部によると、「レクサスのもてなしの基本は『相手を敬う心』」です。高所得者層、つまりお金持ちは、敬われること、ひらたく言えば、持ち上げられることが大好きですので、さすがトヨタさんはそこのあたりをよくわかってますね。
もちろん、敬われるということは、誰にとっても心地よいものですが、これ以外にも、顧客との良好な関係づくりのためのポイントがあります。「統合型マーケティング戦略」という良書に、意味のある対話の条件として5つが挙げられています。
同書の中では、5つのポイントは企業側の視点で書かれていますが、このブログでは消費者(顧客)側の視点でご紹介します。
1.頼りたい
これは取引において最も重要ですね。店員、セールスマンであれば、専門知識の豊富さ、人間性といったものが鍵です。
2.認められたい
端的には自分の名前を覚えて欲しい、呼んで欲しいということが出発点。一人の人間として「認められたいという存在欲求を満たして欲しいのです。
3.すばやく対応して欲しい
現代の人々にとって、最も大切な資源は「時間」です。自分の時間を無駄に費やされてしまうことほどいやなことはありません。だから、すばやい返事、すばやい処理ができる人、会社とつきあいたいですよね。
4.敬われたい
レクサス販売店のおもてなしの基本ですね。極端な言い方をすれば、たとえ、おべっか、ごますりとわかっていても、お世辞を言われたり、丁寧に扱われることは人を心地よくさせます。その心地よさには抗えません。
5.補強して欲しい
ちょっと表現がわかりにくいですが、おたくと取引している、あるいはこの製品を買ったのは正しい判断だったよね、という気持ちを強化して欲しいということです。人は、何かを購入した後、ほんとにこれでよかったかな、という不安にかられがちです。そこで、「確かにあなたの判断は正しかったのですよ」というメッセージや行動を示して欲しいのです。クルマで言えば、納車したらしばらくして、「調子はどうですか」とか連絡して欲しい。売ってしまえばもう終わりとばかり、なしのつぶてではがっかりです。
ところで、レクサス販売店の課題は、従来とは異なる販売スタイルのため、まだ店員が慣れておらず、マニュアルくさい、慇懃無礼な接客になりがち点だそうです。
「丁寧」という仮面をかぶってしまうスタッフが出てきているんですね。
投稿者 松尾 順 : 09:43 | コメント (0) | トラックバック
いいぞマック:どうしたマック
iPodの大ヒットで業績好調なアップル・コンピュータ。
アップルさんとしては、iPodユーザーが、今度はMAC OS Xを搭載したマックPC(MACINTOSH)を購入してくれる波及効果を期待しています。その目論見は当たったようで、日本市場で見ると、3ヶ月の出荷台数が以前は80万台、最近はこれが100万台を越える勢いだそうです。
購入者はおそらく、ほとんどがPCの新規購入者でしょう。銀座のアップルストアでは、iPodを買いにきたお客さんが、「えー、アップルってコンピューターも作ってるんだ!」みたいな声が上がるそうです。
もちろん、私のように、WINDOWSのサブマシンとしてですが、再びマックを購入してしまった出戻り組も相当数いるんでしょうけど。
熱狂的なファンの多いアップルユーザーは、「いいぞ!マック」と歓声を上げているでしょう。
さてもう一方のマック、ハンバーガーの日本マクドナルド。アップルコンピュータの元社長さんが指揮を執っていますが、なかなか苦戦していますね。就任して1年そこらですから、早急な成果を求めるべきかどうか疑問です。
しかし、いったいどうしたんでしょう、マックは。
アップルもそうですが、マクドナルドも世界企業であり、日本市場でできる戦略上の打ち手はそれほどありません。マクドナルドの場合、特に価格戦略に偏っていますね。あまり頻繁に値段を下げたり上げたりするので、顧客の混乱と不信感を招いています。
‘I'm loving it’というキャッチのブランド広告は展開しましたが、日本の消費者の心を揺り動かすメッセージだったとは思えません。
私は、若い頃からジャンクフード好きを自認しており、マックも週1回ペースで利用するヘビーユーザーであるという立場で言わせていただくと、
「マックのハンバーガーは決して不健康ではない」
ということをうまく伝えてくれないかなと感じています。マックは時々、わけもなくムショウに食べたくなります。しかし、いつも、「体にあまりよくないことしてるな・・・」という軽い罪悪感を持ちながら店に向かいます。
以前、「スーパーサイズ・ミー」という、マックの不健康さを揶揄した映画が制作されましたが、ずいぶん以前から、マック=不健康というブランド連想が強いのです。マックが今後も、価格だけの勝負に陥るのを避けつつ、成長を目指すのなら、このネガティブなイメージをとことん変える必要があると思います。
最近の消費者は、不足、不満を解消したいという「ニーズ」から、あるものを失いたくないという「リスクコンサーン」へ関心が移っています。自分に無いものを充足したいということ以上に、消費によって大切な何かが失われる可能性を減らしたいという気持ちが強いのです。
つまり、消費に伴うリスクを回避、低減し、安全、安心、安定を維持したいということです。
そして、今の消費者は、関心が内向き、自分に向かっています。自分の肉体・精神の安全、安心、安定を強く希求しています。環境志向、健康志向、癒し、といったキーワードで語られるビジネスが伸びる時代です。
マクドナルドハンバーガーは、安い、早いが売りのファーストフードではありますが、これからは健康志向の消費者マインドに訴える必要がもっともっとあると思います。
投稿者 松尾 順 : 09:56 | コメント (0) | トラックバック
右脳で見る映画
グロービスのセミナーで、スタジオジブリの鈴木俊夫プロデューサーのお話を聞いてきました。
鈴木さんは相当おしゃべり好きなようですね。話し方も、映画のストーリーっぽい語り口でして、聞いている人をわくわく楽しませてくれます。
鈴木さんと宮崎駿監督は、実に27年間のつきあいですが、とにかく毎日べったり一緒にいるそうです。それだけ相性が良い二人とういことなんでしょうけど、質問コーナーで、あの天才宮崎駿とコントロールしているのか、という質問がでました。
鈴木さんによれば、コントロールするとかじゃなくて、うまくやれてこれたのは、2人が「友だちだから」というのが答えです。なんかいいですね。ただ、鈴木さんは、宮崎監督はビジネスパートナーであるという意識も持っているそうですが、宮崎さんは、鈴木さんを純粋な友達と考えているようです。だれかに鈴木さんを紹介する時、たとえ仕事の場面でも、宮崎さんは「こちら、友だちの鈴木さんです。」と言うそうですから。
強い信頼関係で結ばれている2人だから、いろいろとあってもこれまで一緒にやれてきたんでしょう。
ああ、美しき男の友情!!
さて本題は、日本で大成功を収めているジブリ作品ですが、なぜ海外ではあまり良い興行成績を収められないのか、ということです。
一番の原因は、上映される映画館数が少ないということかもしれません。
ただ、日本人と欧米人の文化的な違いも大きいようです。「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」などで展開された世界、あれは私たち日本人にとってはとってもなつかしさを感じるものです。どっかで見たことがある、記憶に残っている原風景です。田舎育ちの人なら実体験として感じるものがあるでしょう。都会育ちの人でも、旅行で地方に行ったり、テレビで見たりして、なじみがあることには変わりがない。
ですが、ジブリ作品の風景は、欧米人にとっては異質な世界です。基本的に異質な世界は災いをもたらす存在としてありますから、恐怖感や忌避感を無意識に感じてしまうのじゃないでしょうか。
映画、またさまざまな芸能、小説もそうですが、話が展開される基本環境設定を「ワールドモデル」と呼びます。このワールドモデルがまず頭にすんなり入ってくるかどうかが、さまざまなエンタテイメントを楽しめるかどうかの鍵なんですね。
また、ジブリ作品が欧米人にとって違和感を感じるだろうと思える原因は、ストーリー性の弱さでしょう。
「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」など、最近の作品は特にそうですが、ストーリー的には、何がなんだかわからないと思いませんか。何も考えず没入すると、実に楽しい映画です。しかし、頭で理解しようとするとつじつまが合わないことが多いですね。このあたりが論理性を重視する欧米人にはなかなか受け入れがたいのかもしれません。
このストーリー性の弱さにはそもそも理由がありました。鈴木さんの話でわかったのですが、宮崎作品にはシナリオが存在しないからです。全体の流れとかまったく決まっていない状態で、キャラクターが何を持つか、なんて、すごくミクロな部分から初めて、自由にストーリーを展開させていく。だから、奥深い作品になる一方で、全体としてはつかみどころのないものになる。また、とても感性的な仕上がりになるのでしょう。
個人的には、ジブリ作品は右脳で見る映画であり、それでいいと思います。
無理に海外で受けるために、きっちりシナリオをつくるとか、してほしくないですね。
(絶対しないでしょうけど)
投稿者 松尾 順 : 10:11 | コメント (0) | トラックバック
微妙な年頃
私の通勤電車は、常磐線直通千代田線です。松戸から乗り、大手町で乗り換えます。
千代田線は常磐線快速ほどには混みませんが、当然ながら始発を待たない限り、座席を確保できることはまずありません。
先日、優先席の前に立っていた時、北千住で私の前の席に座っていた人が降りていきました。これ幸いと座ったら、たぶん50代の女性が目の前にいました。私は思わず「どうぞ」と席を譲ってしまったのです。女性は遠慮しながらもお礼を言って座りました。
これね、私、今でも半分申し訳ないことをしたかなと、後悔しつつ悩んでるんですよ。
私が席を譲ったのは、決して相手がお年寄りだからというわけじゃなくて、私の方が中年とはいえ、男だし体力はあるから、という、まあいわゆる「レディーズファースト」の精神だったわけですよ。
でも、ひょっとしたら相手の女性は、「えっー、まだ私、席を譲られるほどの年じゃないのに!!」と内心思ったんじゃないかと。職場に行って、同僚の女性かなんかに、「今日ショックなことがあったの、電車で優先席を譲られちゃったのよ・・・!」なんて話したんじゃないかと。
でもまさか、譲るとき、「別にあなたが高齢だからというわけじゃないんですよ、私の方が男で元気だからなだけなんですよ」とか言い訳するのも変ですよね。
優先席に限らず、座席に座っていて目の前に高齢の方が立った時、同じような悩みを持ちませんか。この人は微妙な年齢だな、譲ったらかえって失礼じゃないだろうか、なんて。特に相手が女性の時。
女性の場合、年齢ってとても敏感な問題ですよね。
私の友人に以前、婦人服を経営していた社長がいますが、もし40代の女性をターゲットにするのなら、30代の女性向きのデザインの服を品揃えするので丁度いいんだと言っていたことを思い出しました。
女性の実年齢と精神年齢のギャップは、女心を読む上でとても大事なことのようです。
投稿者 松尾 順 : 08:53 | コメント (0) | トラックバック
心読みます
10月5日から始まった、日経新聞夕刊1面の連載記事のタイトルは「心読みます」となってます。
おおっ、これは、まさに「マインドリーディング」です。
まったくの偶然ですが、「商いの本質は相手の心を読むことにある」ということに世間の関心が集まりつつあることを意味してるんじゃないでしょうか。
マインドリーディング力、つまり心を読む力は、端的に言えば「共感力」です。相手と同じ感覚になれるかどうか、ということですね。
また、「ああ、その気持ちわかるよ」と思えるかどうか。
そして、大ヒット商品やサービスを生み出し、一代で財を成したようなカリスマ創業者が最も優れている点は、おそらく「共感力」です。その時代の大衆感覚を自然に共感できてしまう力があったから、消費者の心をつかむことができた。もちろん、事業を大きくしていくためには、決断力、構想力といった能力も必要だったのでしょうけど。逆に、必ずしも頭(理知的な)の良さや学歴は、あまり役に立たない。共感力は文字通り感性であって、理性ではないからです。
経営コンサルタントの泉田豊彦さんも、「ビジネスで成功した人は大衆と同じ波長の人が多い」とおっしゃってますが、特に飲食、小売店業界のカリスマリーダーに多いですね。ダイエー創業者の故中内功氏などは、「主婦の店ダイエー」というキャッチフレーズでわかるように、主婦の感覚を共感できたから小売業トップの座を射止めたわけです。
問題は、いかにカリスマであろうとも、年を重ねるとだんだんと共感力が衰えてくることでしょう。自分の感覚と時代がずれてしまっていることを直視できず、暴走してしまうのです。ダイエーの現状もそうなりました。(ただ、庶民感覚の持ち主の新たなリーダー、特にCEOの林文子さん)の登場によって再生する可能性が多いにあると思います。)
あるいは人によっては偉くなったことで現場を離れてしまい、現場で起きていることを自分の五感で体験しなくなる、その結果、自分では気づかないうちに共感力を失ってしまうこともありますね。
つい先日聞いた話ですが、ある大手家電メーカーの創業から参画し、役員まで上りつめて退職した方が、その後、一企業に入社しました。彼は非常に優れた人格者でして、本人が言うには、「私は30代から、おつきの運転手で送迎されるような毎日を送ってきたので、普通の生活が良くわからないのです、だから、リハビリが必要なんです。」ということで、一般社員と机を並べ、電車通勤を始めることにしたのです。しかし、隣に座った社員が驚いたことには、「電車の切符はどうやって買うんですか」と聞かれたこと。
この電機メーカーは若者向けの製品も出してますが、こうした庶民感覚からかけ離れた生活を送っている役員たちによって、新製品開発の是非が判断されているという現実を考えると、「なんだかなー」と思いますね。
投稿者 松尾 順 : 09:20 | コメント (0) | トラックバック
ウソでもいいから信じたい
「アガリクスで癌が治った!」という体験談はライターのでっちあげだった、という最近の某出版社の事件がありました。病気の人をだますなんて最低のやり方ですね。
人が信頼を寄せやすいのは、当然ながら売り手の企業の広告文じゃなくて、実際のユーザーの言葉です。さらに、本というメディアを利用すればさらに信頼性が高まります。そこをうまく利用するのはマーケティングでは常套手段ですが、ウソはいけません。
しかし、消費者心理としては、基本的にわらをもつかみたい心境なわけで、多少うさんくさくても、信じたいという気持ちが強くなっています。
よく新聞の折込チラシに見られる「幸運の財布」「幸運のペンダント」。
ここにも財布を買ったら、宝くじが当たったとか、彼女ができたとかの体験談が写真入りで載っています。これはあきらかなやらせです。つまりほとんどがウソ。
読む方だって、「そんな馬鹿な、信じられない」と感じているはず。それでも相当数の人が購入してしまうんですね。結局のところ、たとえウソでも信じたいという気持ちが強ければ、怪しいけれどたぶん真実もあるだろう、という都合の良い解釈をしてしまうんですね。
投稿者 松尾 順 : 12:35 | コメント (5) | トラックバック
天性の魅力
外見の話を続けますね。
生まれつきの美男・美女っていますね。
ようちえんの頃から、やたらともてまくってた友達がいませんでしたか。
歌手の美輪明宏さんも、若い頃の写真を見ると、この世のものとは思えない美しさです。女性にももてたんでしょうけど、とりわけ男性にもてたようです。美輪さんもどちらかといえば男性に興味があったようですが。
まあ、なんだかんだいって美男・美女は得ですわ。生き残るのに都合のよい子孫を残していきたいという遺伝子の命令によるものでしょう。性的な本能が背景にあるということですね。
もうひとつ、男性の場合、特に女性にもてるのは童顔の人です。社会心理学の研究でも、童顔の人の方が、より好意を持ってもらえるし、またその人の発言を信頼するという結果が出ているんですよ。
なぜでしょうね。童顔とは英語でベビーフェイス、つまり、赤ちゃんを連想させるからなんです。これもまた本能的に子孫を残していくために赤ちゃんは大切にしなければならないという意識が背景にあるんですね。
例えば、クリントン元米大統領があのハレンチなスキャンダルにも関わらず失脚することがなかったのは、スピーチのうまさもさることながら、彼のベビーフェイスがプラスだったということらしいです。
日本でいえば、ライブドアの堀江さん、丸顔の童顔で憎めない印象がありますね。行動が過激でもそれほど反発を受けないのはあの外見のおかげでしょう!
投稿者 松尾 順 : 09:46 | コメント (0) | トラックバック
持っててうれしい!
アップルコンピューターの広報部長のお話を聞いてきました。
爆発的なヒットを続けている「iPod」の成功秘話でして、非常に興味深い内容だったんです。
ところが、最後に広報部長から、ブログなんかには書かないでくださいね、ここだけの話にしておいてください!、と釘を刺されてしまったので、残念ながら書けません・・・
直接お会いする機会にこっそりお話したいと思います。
それでも、差し支えないところでちょっとアップル製品のことを書きます。
いまさら言うまでもなく、アップルの製品の特徴はデザインが洗練されてることですね。いわゆる、インダストリアルデザインにものすごくお金かけてます。その基本コンセプトは、「お客さまが持っててうれしい」と思えるような仕上がりにすることなんです。
iPODを見るとわかりますが、機械を感じさせるネジがまったく外面に出てませんね。あるいは、ノートPCのパワーブックも目に見えない裏側までしっかり仕上げてあります。また、パワーブックを閉じて、スリープモードになると、小さいライト(LED)が点滅しますが、まるで寝息を立てているような見え方をします。
しょせん鉄などの無機物で作られた機械に「持っててうれしい感」を与えるには、暖かみ、柔らかさ、人くささを感じさせるデザインじゃなきゃダメなんですね。
政治家、あるいは政党の政策も同じですが、中味、つまり機能、性能といったものに競合製品間でほとんど差がない時代。あるいは差があったとしても、素人ではなかなか、どちらが良いか判断できない時、やはり外見、すなわちデザインが重要な手がかりになるんです。ただし、中味も伴っていないと長期的には客離れを招きますけど。
アップルの場合、中味、つまり品質もずいぶん向上しました。逆に、ソニーさんは、中味の低下がこのところ顕著だったと思います。端的にいうと、壊れやすかった。ソニー製品のデザインも一級品で、私もそれに引かれて以前は良く買ってました。でも、結構すぐに壊れてしまうので最近は、どんなにデザインが良くても買うのにためらってしまうようになったんです。
投稿者 松尾 順 : 09:16 | コメント (0) | トラックバック
印象って大事!
いまさら先日の総選挙の話題を蒸し返すことはしたくないけど、小泉首相の見せ方のうまさには感心しますね。(政治手腕についてはここでは立ち入らないことにします)
小泉さんは、大衆受けするには、何よりも表面的なこと、つまり印象が大事なことをよくわかっていますね。
細身の小泉さんは従来の政治家のイメージとは違って年の割りに若々しく見えますし、ファッションセンスも悪くない。実際、米国エスクワイヤ誌のベストドレッサーで12位に選ばれています。
中味、つまり本質も大事だけれど、それを判断するのは相当難しいです。政治問題ならなおさら。
だから、中味くるむパッケージ、つまり外面の印象を中味の良し悪しの判断材料に無意識にしてしまうのが一般の人たちなんですよ。
野党の政治家が、小泉さんに勝とうと思うのなら中味と外面の両方の充実が必要ということを本当に理解して、実行しないといけないです。
投稿者 松尾 順 : 09:46 | コメント (0) | トラックバック
丁寧という仮面をかぶっている人たち
“「丁寧」という仮面をかぶっている。”
レストランや小売店で、しばしばこの言葉を思い出します。
この言葉は、青山にある‘愛と感動’のレストラン「カシータ」のオーナー、高橋滋氏のお話の中で最も印象的だったものです。
日本のホテルやレストランではよく経験するのですが、サービスをしてくれるフロントマンやウエイター、ウエイトレスの人たちは、てきぱきと仕事はこなすし、言葉遣いは丁寧なんですが、交わす言葉は通りいっぺん、ぜんぜん心が通っていないんですね。
表情も能面で、笑顔もほとんどないですし・・・・
まるで、アンドロイドロボットです。ただ、やるべきことを機械的にやるだけ。高橋氏のおっしゃるとおり、彼らは「丁寧」という仮面をかぶって、あえて人間的な交流やふれあいを拒否しているのです。
いちおう、血の通った人間同士なんですから、ホテルにチェック・インした時なんか、「今日のお仕事はいかがでしたか」なんてことを聞いたらどうなんでしょう。余計なお世話に聞こえないよう、さりげなさのテクニックは必要ですけど。
驚くほど情報化が進んでしまった今だからこそ、人間らしい交流を顧客は求めているんですよ。
ぜひ、「丁寧」という仮面を脱ぎ捨てて欲しいもんです。